与党ヨルリン・ウリ党の辛基南(シン・ギナム)議長の父親が、(日本植民地支配下で)日本軍の憲兵として服務していたことが明らかになった。月刊「新東亜」は、辛議長の父親の当時の行跡を集中的に報じた。関連証言もこれを裏付けている。
父親の前歴に関して子孫に責任を問う「連座制的接近」は正しくない。辛議長は、父親の問題の直接の当事者ではないためだ。問題は、この事実を知りながらも否定し続けた辛議長の虚偽と偽善である。辛議長は先月、父親の親日疑惑が取り上げられた際、「師範学校を卒業して教鞭を取っていたが、光復(クァンボク、独立)後に警察に入った」と話した。日本軍憲兵の経歴をこっそり抜いていたのだ。むしろ、韓国戦争当時には智異山(チリサン)のパルチザン討伐隊司令官を務め、太極武功勲章を受けたことを話すなど、父親の「愛国心」を誇った。辛議長は、真実が明らかなった後、「(日本の)警察ではないのに警察だと言ったので否定した」述べたが、苦しい言い訳と言わざるを得ない。
与党は今、親日問題などの歴史の整理を叫んでいる。民族精気の回復を強調して、誰よりも先頭に立っていた人物が、まさに辛議長である。ならば「自己告白」を先行させるべきだった。にもかかわらず、父親の親日履歴を徹底して隠し、他人のことばかりを咎めてきたのだから、内と外を使い分けるダブルスタンダードの典型と言わざるを得ない。今回のように「動かない証拠」が出なかったなら、そのままでやり過ごそうとしたのではないか。弱点を隠そうとして、むしろ親日清算の声を高めたのではないかと問いたい。
さらに辛議長は、参加型政府のリーダーシップの両軸となる政権党議長である。このことが、単なる個人レベルではなく、政権の道徳性にまでつながるのは、まさにこのためである。政権の中心人物の道徳的権威が崩れたところでは、いかなる改革スローガンも大義名分が立つわけがない。
辛議長は遅ればせながら、父親の親日履歴を認め、独立闘士と遺族に許しを請いた。しかし、その程度で終わる事柄ではないことは、彼自身が十分に承知しているはずである。すでに与党内部では辛議長の進退を巡り、論議が起こっている。国民は、辛議長の選択を見守るだろう。






