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浮草の人生 雑草のような生命力

Posted May. 28, 2004 22:55,   

『私の異母兄弟』

李ミョンラン著/300頁/9000ウォン/実践文学社

作家の李ミョンランさん(31)の新作長編『私の異腹兄弟』を読んでいると、不純物は何一つ混ざっていない、一滴のインクのような17歳の黒い瞳が浮かんでくる。黒くて澄んだ瞳、それは17歳の家なき少女、李ヨンウォンの生命が始まるところだ。

水面上の落ち葉のように流されていた彼女が「『協同しましょう』おじさん」に連れられ、暫く居候しているのは、ソウル永登浦(ヨンドゥンポ)市場にある果物屋のソウル商会。作家自らが育ち、果物を売り、小説を書き、二人の子供を育てている市場の一角にある小さなお店だ。

李ミョンランさんは2年前書いた小説『サモ食堂』で、この市場の活気溢れる商人たちのたくましい姿を描いている。今回は、ここで横行する蔑視や暴力に限りなく曝されているひ弱な流れ者たちが、李さんのペン先で生命を授かる。

筋肉マヒの症状で頻繁に病院通いをするチュンミ、不法滞在のインド人労働者「カムデンイ」、ヒモから袋叩きにされても住民登録証を手に入れるために身体を売ってカネを稼ぐ朝鮮族出身のカフェ従業員「モジョリ」、背が6歳児並みの「小人ワンヌニ」、そして彼らと傷を癒しあい、心を通わせる「私、李ヨンウォン」。

バラ茶房の従業員「モジョリ」は、果物を入れるダンボール箱に書かれた字で読み書きを覚える。その彼女がカネを稼いだところには決まって彼女のヒモが現れ、最後に残った1000ウォン札まで吸い上げていく。ヨンウォンは彼女に国語教科書をあげ、通帳をつくってあげる。

身体の固まったチュンミがテレビのリモコンさえ押せない状態になるや、ヨンウォンは彼女の指になってあげる。

矮小な身体に対する劣等感で心がひがんだワンヌニが犬を使って弱い人をいじめるや、ヨンウォンは胸をさらけ出して彼を折れさせる。

この浮草のような人生を水面上に浮かせて駆っていく作家の筆力は、小川のように緩やかで、早瀬のように速やかで、滝のように快活である。

この小説で作家が殻を剥いて自由を与えたい究極の対象は二人、すなわち、身体の中の熱を冷ますために夜中に人の冷蔵庫に入る小説家志望のトクチンと「私、ヨンウォン」だ。

彼らの現実はヨンウォンが住んでいる地下室で羽ばたく一羽のカササギに象徴される。

インド人労働者「カムデンイ」がその黒い鳥を空に放す姿は、いつもカメラを首にさげて歩くヨンウォンの目に鮮やかに映る。

その強烈な場面はヨンウォンの耳元に生生しく残るお父さんの最後の忠告と重なる。ヨンウォンは巫女の娘だった。

したたかな母親がヨンウォンを神がかりさせる直前、意気地ない父親が現れ、祭祀を妨害したことで、ヨンウォンは強制された運命から抜け出すことができた。

娘が巫女として生きることを望まなかった父親は、残った力を搾り出してヨンウォンに最後の一言を伝える。

「永遠に、遠く、逃…げろ」



權基太 kkt@donga.com