この世で最も高潔な征服者、慈悲と寛容の君主。十字軍戦争の「イスラム英雄」サラディンに付けられた献辞である。中世ヨーロッパのキリスト教徒がイスラム教徒を征伐するため200年間もいたずらに行われた殺戮戦は十字軍戦争として知られているが、戦争は相手がなければならない。英国の「獅子王」リチャード1世に対抗してジハード(聖戦)を宣言したサラディンはキリスト教徒が占領したエルサレムを奪還した後、真の騎士道といえる善政を行った。何事も惜しまずに気前よく分け与えたスルタンだったため、この世を去った時には葬式の費用まで借りなければならなかったと、ステンリー・レイン・ポールは「サラディン」伝記で紹介している。彼の故郷はまさにメソポタミア文明の発祥地・チグリス川に位置するティクリートである。
◆イラク人のように歴史を敏感に受け止める民族もまれだ。十字軍戦争以来、西欧文明に外勢の「石油政治」にやり込められてきたと信じている彼らは、常にアラブの栄光を再現する指導者を渇望してきた。1937年ティクリートの貧しい農村で生まれたサダム・フセインがこれを知らないはずがない。サラディンの後裔を自称した彼は米国を相手に繰り広げた「新十字軍戦争」で米国を追い出し、エルサレムの守護者になると宣言した。幼い時継父の虐げにもかかわらず勉強を続けアラブ民族主義に深く心服するまで、フセインに強固な土壌の役割をしたところもティクリートだった。執権後、フセインは豪華大統領宮や、巨大な寺院、軍事的重要施設を建てることで故郷に恩返しをした。
◆こうした背景で、ティクリート人の心理には特別なものがある。どの地域よりも根強い連帯感と親族関係で結ばれたティクリート人は、名誉と自尊心、そしてそれが損なわれた時に復讐することを非常に大切なこととしている。執権バット党の要職から秘密警察までフセイン政権の最側近を供給し、強い支持基盤の役割をしてきたティクリート人である。大通りには「フセインは存在する」と書かれているほど未だに追従勢力も無視できないほどだ。フセインはここのどこかに潜伏しているものと見られるが、億万金を積んでもティクリートの人々は彼の居所を吐かないだろう。「それが私たちアラブ人の伝統だ」というのが彼らの言葉である。
◆ここで罪のない韓国の民間人が殺害された。自分たちの誇らしき伝統と名誉が他人には苦痛に、テロによって行われるというのは悲劇だ。だが、ティクリート人もまた犠牲者かもしれない。地域色を政権維持の基盤に利用した権力者にいまだに篭絡されているという意味で。「天国の最も偉大な属性は慈悲」として、敵国の捕虜まで愛で抱き込んだサラディンが、フセインや復讐心でいっぱいのティクリート人を見てなんと言うだろうか。
金順徳(キム・スンドク)論説委員 yuri@donga.com






