職業の前に「国民」と称されるような人は多くない。「国民俳優の安聖基(アン・ソンギ)」と「国民歌手の趙容弼(チョ・ヨンピル)」程度ではないだろうか。一夜にして人気スターが誕生しては消えてゆく世の中だが、2人の人気は数十年間、浮き沈みがない。好きな階層も老若男女の区分がない。一つの分野に徹する執念と骨身を削る自己革新でファンの期待に絶えず応えてきたゆえに可能なことであった。厳しい「プロ精神」の前に頭が自然に下がり、職人を越える香りさえ感じられるとき、人々は「国民」という修飾語に納得するだろう。
◆ 金剛高麗(クムガンコリョ)化学(KCC)の鄭相永(チョン・サンヨン)名誉会長に現代(ヒョンデ)グループの経営権を渡す危機に追い込まれた現代エレベーターの玄貞恩(ヒョン・ジョンウン)会長が、一昨日、大反撃に出た。1000万株を有償増資して鄭会長の持ち分に「難平売買」をするというのだ。兵法で言えば苦肉の策で、囲碁で言えば死んだ石を生かす決め手とするに値する。「王子の乱」が起きて叔父の「支援軍」が突然「占領軍」に変わるなど反転に反転が繰り返されており、春秋戦国時代の諸侯たちの争奪戦より変化に富む。法と市場の枠組みの中でなら、彼らが何の手段を動員しようが大きく咎めることではない。しかし、玄会長側が「国民企業」云々などというのに対しては心配が先走る。
◆私たちにはつらい「国民企業の思い出」がある。「国民企業」第1号は旧起亜(キア)グループだ。持ち分が多数の株主にそれぞれ分散しており、オーナーではない専門経営人が経営を引き受けたとして、起亜はいわゆる「国民企業」と呼ばれた。1997年中盤、起亜の不渡り危機が現実化した時、政府は「国民企業」という名分に足を引っ張られ、処理を引きずってきたが、結局国際通貨基金(IMF)から緊急支援を受ける羽目になった。後に起亜が現代自動車に渡される時、債権団は7兆ウォンを超える負債を帳消しした。不良金融機関を公的資金で賄ったので相当部分は国民が負担したわけだ。
◆現代グループは2000年5月以降30兆〜40兆ウォンの金融支援を受けた。また減資と負債帳消しで小口株主と各金融会社が被った被害だけでも10兆ウォン台以上だ。歌手の本業が歌であり、俳優の本業が演技であるように、企業の本業は収益を生み出すことだ。国民経済に必要な財貨と用役を供給して雇用を生み出し、税金を真面目に納めることで企業は企業としての役割をきちんと果たしたことになる。「国民企業」はそれにに加えて国民的プライドを高めるのに貢献したときにつけられる呼称だ。国民の血税を減らした企業がむやみに「国民企業」云々しては困る。
千光巖(チョン・グァンアム)論説委員 iam@donga.com






