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論介の魂のように、燃える秋の南江

Posted October. 01, 2003 23:42,   

7年にわたる壬辰倭乱(文禄・慶長の役、1592〜1598)。咸鏡道(ハムキョンド、韓半島の北部)にいたるまで朝鮮が倭軍に蹂躙され、国王も疎開しなければならなかった戦。その歴史をめくっているうちにこれまで見過ごしていた事実に気付いた。この戦争の英雄には、若い年で命を落とした人が多いということだ。

幸州大捷(ヘンジュデチョプ、幸州山城で倭軍を破った戦い)、閑山大捷(ハンサンデチョプ、閑山島臨海で勝利を収めた戦い)と一緒に壬辰倭乱の3大戦として数えられる晋州城大捷(チンジュソンデチョプ、1592年)の指揮官として戦いの終わりに戦死した金時敏(キム・シミン)は当時38歳。翌年の再攻撃で陥落した晋州城で倭軍の将軍を抱いて水に飛び込んだ論介(ノンゲ)は19歳だった。

その歴史の現場である晋州市。ここで今壬辰倭亂の時に命を落とした数万人の魂を慰める祭が行われている。晋州南江(ナムガン)の灯籠祭がそれだ。1日に開幕し15日まで続く。

晋州城大捷で敗れた倭軍は翌年12万の兵士を率いて再攻撃をかける。3400人の官軍が守っていた晋州城は11日後に陥落し、城内の7万の軍官民は虐殺された(癸巳殉義)。南江の灯籠流しはまず、この時に散った犠牲者の魂を慰める祭儀から始まる。

晋州の象徴である南江。西から東へ晋州を横切り、北東へ方向を変えて洛東江(ナクトンガン)へ流れるこの川は、論介が身を投げたその川である。また、晋州城大捷の時に城内の官軍が城外に陣を立てた郭再祐(クァク・ジェウ)将軍の義兵と連絡を取る手段としての灯籠、川を渡る敵を威嚇するための灯籠、戦に疲れた兵士が城外の家族に無事を知らせるために灯籠を流したのもこの川である。

中国、インド、シンガポール、台湾、日本など仏教文化の国で見られる灯籠祭。だが、国内では晋州でしか見られない。今年の祭は晋州市が灯籠祭を国際的なイベントに発展させるという野心に満ちた計画の下で緻密に準備されてきた努力の結実を見せる初舞台である。だからかつてどの年よりも華やかで多様なイベントが設けられている。

人物型の灯籠、オシドリ灯籠、チャンスン灯籠、鬼灯籠、白鷺灯籠、太鼓灯籠、鯉灯籠、走馬灯籠、トラ灯籠、石灯など、韓国の多様な形の灯籠が見られる。それだけではない。中国の竜灯や鳳凰灯や蓮灯、日本のだるま灯にねぶた灯、台湾のトーテム灯、タイの王室馬車灯、インドのガネシュサン灯、シンガポールのマライアン(獅子の頭に魚の体をした想像上の動物)灯、アフリカの古代人物像の灯など見物でいっぱいだ。

国別に製作された世界の灯があでやかに夜の南江を彩る。超大型の灯も準備されている。一つは晋州城の正門を実在物大に作られたコンブクムン灯(高さ15m)で、もう一つは中国の天壇灯(高さ18m)。この灯は世界最高の灯籠祭である中国四川省自貢市の灯務管理委員会所属の技術者が来韓し、晋州で直接製作したものだ。173にのぼる様々な形と大きさの世界の灯は祭の期間中、南江の川辺と水面を華やかな明かりと形で彩り、晋州の夜を飾る。



summer@donga.com