この5年間、韓国社会の階層間、地域間、世代間の隔たりが、いつになく広がった。まず、階層構造の面でみると、金融危機の後遺症を収拾する過程で、韓国を支える最大の根幹であった中産層がい縮してしまった。経済的上位階層と下位階層の間の緩衝地帯がわい小化してしまったのだ。その結果、階層間の違和感や意思疎通の断絶現象が尋常ではない。
なかでも、生まれて初めて下位階層に押し出された前中産層のはく奪感は、非常に深刻である。
これによって、上位階層に対する敵がい心を日ごろの疲れ以上に増幅させたり、階層間の平等をより切実に要求するようになったとしても、決して異常なことでも意外な現象でもない。
地域間のかっ藤も然りである。政権の登場そのものが、露骨な地域連合を基礎においていただけでなく、その後の人事権の行使で、地域差別がかえって明りょう化したという評価だ。一部では、差別の是正過程で現われた臨時的な現象であると強弁するかもしれないが、何しろ地域感情に依存せずには、差別であれ逆差別であれ、そのいずれも不可能だという事実をより明らかに確認させたに過ぎない。
その結果、嶺南(ヨンナム=慶尚道)の政権奪回への欲求を強め、湖南(ホナム=全羅道)の権力守護への意欲に拍車をかけた。どんなことがあっても、地域感情を代表する政治家の確保に最優先的価値を与えずにはいられなくなったのだ。
情報大国を目指しながらも、それに伴なう情報格差の是正問題に十分に留意しなかった結果は、深刻な世代間の格差を生みだした。一日に数十回もインターネットに接続するインターネット世代と、旧メディアに依存して情報を収集する旧世代の間には、単純に情報の量的格差や断絶現象だけが発生したのではない。社会政策課題への問題意識や解決方法の模索が合わなくなってしまった。
なかでも、インターネット世代の水平的世界観と、垂直的構造に慣れ親しんだ旧世代の生活スタイルの間では、公的課題への熱情と関与の強度が異なり、旧メディアに対する依存度や評価も異なることを確認するに至った。
ところで、このように韓国社会の階層間、地域間、世代間の隔たりやかっ藤が、この5年間により深化したとすれば、大義、民主主義の哲学的原理面からみる時、当然現在の政権勢力にその責任を問うて当然である。まさにそれが、責任政治と交代任用主義を選択する根本の理由なのだ。
しかしどういうわけか、まさにこのような階層間、地域間、世代間の対立の激化が、むしろ政権勢力が擁立すると有力視される大統領候補が政治的基盤を広げる土壌であるとみなす矛盾と諷刺の現象を生んでいる。盧武鉉(ノ・ムヒョン)突風は、下位階層に押し出された以前の中産層の平等指向主義によって護衛され、嶺南・湖南の地域連合を通じて、権力を継続させようとする新種の地域主義によって激励され、ひいてはインターネット世代を中心とする新世代の熱情主義と連帯力に依存すると考えるからだ。
では、このように与党に不利で野党に有利な政権勢力の成績表が、むしろ与党に有利な要因として作用する理由は何か。それは、このかっ藤と対立の課題をめぐって、与党、特に盧武鉉氏は、感性的アプローチを試みる一方、野党、特に李会昌(イ・フェチャン)氏は、理性的アプローチを行なうためである。米国の心理学者であるカール・ジョンは、米国の政党を評価して、理念の収れん現象が日常化する現代社会では、政党を理念の次元ではなく心理的次元で評価するのが正しく、なかでも感覚指向性と思考指向性を基準に区別することが的確であると主張した。ひいては21世紀の平等指向的、即応的、単細胞的社会構造の中では、思考指向的アプローチではなく、感性指向的アプローチが、より訴える力が大きいという点を明らかにした。
ならば野党が「気が抜けた」理由は、変化する時代の姿を診断して、これに対処していく戦略的な代案模索の熱情や能力が、与党より劣っていたことにあるのではなかろうか。旧態依然たる姿勢では、新しい時代の政治的要求を導くことができないという信号ではないだろうか。与党がうまくやったからというのではなく、野党が本来の役割を果たさなかったため、政権交代の可能性が薄くなっているという評価がぴったりではないだろうか。これこそ、今の時点で野党が反すうすべき課題であると考える。
朴載昌(パク・ジェチャン)淑明女子大学教授(議会行政学)






