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[オピニオン]新内閣、新しいことに手をつけることなかれ

[オピニオン]新内閣、新しいことに手をつけることなかれ

Posted February. 01, 2002 09:44,   

29日に行われた金大中(キム・デジュン)政権の内閣改造と大統領府秘書陣再編に対して、各界から失望と批判の声が上がっている。今度こそは、過去の拙劣な人事の慣行から脱して透明性と専門性、そして政治的中立にもとづき、「これで合格」と国民が安どできるような内閣改造と大統領府再編になることを願っていた。しかし結果は正反対だった。現政権の残りの任期があと1年程残されている時点で、国政の目標の焦点を果たしてどこに合わせて内閣改造を行ったのか分からない、というのが一般の世論だ。

金大中政権の人事政策の最大の過ちは、何よりも歴代政権の中で最も頻繁に長官を入れ替えることで国政の一貫性を失わせたことだ。同政権の任期4年内に教育部と建設交通部長官は7回も、統一、法務、保健福祉、労働部長官は6回も交代し、これらの長官の平均在任期間がわずか8〜9カ月に過ぎないというギネスブックにでも記録されそうな珍記録を打ち立てた。このように短命長官が量産されたのは、統治権者である大統領が十分な人事検証を行わなかったことから、後になって不正や無能による政策の混線があらわになり、国民世論が悪化するたびに随時人事交代を繰り返してきたためだ。

このような人事政策の失敗は、政策の失敗につながり、政府の信頼をおとしめる決定的原因となった。同政権の最大政策失敗ともいえる医薬分業を含む医療保険政策と大学入試を含む教育政策の迷走は、他ならぬ政府の人事政策の失敗による必然的結果といえる。

かつて、栗谷(ユルゴク:朝鮮王朝時代の学者・政治家)先生は、帝王学の決定版といえる著書「聖学輯要」で、君主が万人のための聖君になるための最初の徳目は、国が求める人材を見極めて選抜し、適材適所に配置することだと言った。今のように対外的には国家間の大競争が続き、国内的には失業問題と各種の圧力集団によって不特定大多数の国民の利益がさん食されている厳しい時期に、国民が納得できない政府要職の再編を頻繁に行うことは、実に嘆かわしいことだ。

18世紀の啓蒙思想家モンテスキューは、著書「法の精神」で政体の原理の腐敗について次のように述べた。「『政体の原理』がいったん腐敗すると、最もよい法も悪法になり、国民を苦しめる。しかしその原理が健全ならば、悪法もよい法並の効果を発揮し、国民を安心させる」。ここで言う「政体の原理」とは、政治権力が究極的に追求する目標を言う。今回の政府再編について「政体の不透明性」という声が高まっているのは、金大中大統領が約束した「脱政治、国政専念」とはあまりにもかけ離れているからだ。

我々を失望させた今回の政府要職再編によって最も懸念されるのは、ただでさえ政権末期のレイムダック現象がまん延している公務員社会をどうやって刷新し、山積した国政課題を円満に解決していけるのかという点だ。またしても公務員社会の動こうとしない体質や事なかれ主義の深い泥沼にはまって「うまくいくこともないし、うまくいかないこともない」故障した官僚社会に堕落するのではないかと心配になる。

今回の要職再編が民生を無視し党利党略にこだわって「議院内閣制に便乗した政界再編」を主張する一部の政治勢力に力を与える突破口として悪用されることがあってはいけない。また、次期政権に負担を与える「何々政策」を新たに急ごしらえして国民の負担を増したり、国民をいたずらに喜ばせるばらまき政策は、もう繰り返さないでほしい。言いかえれば、最大の政策目標ではない最小の政策目標の遂行で満足しなければならないということだ。最小の政策目標とは、素人長官たちの政策ミスを最小化することを言う。

モンテスキューは、民主政体が持つ致命的弱点である政治腐敗を克服しないならば、民主主義は返って国民に害悪になると言った。つまり、「国民の信託を受けた人々が自らの腐敗を隠すために国民を腐敗させようとする時、国民は深刻な不幸に陥る」ということだ。我々の社会にまん延した腐敗心理と構造をなくす適切な処方は何だろう。絶対権力は絶対的に腐敗する。だから、政治的に開かれた社会、即ち法が支配する法治主義、独立した司法部、言論の自由、自律と責任を実践する市民社会の確立を通して民主主義を確固として守ることだ。

今日の為政者たちは、民主主義は究極的に責任政治であるため、政策に失敗して国民の信頼を失った政党や政府は、選挙での敗北を甘んじて受け入れるしかないというしゅん厳な歴史的教訓をとくと胸に刻むべきだ。

パク・ウンギョク、地方自治大学院長(行政学)