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[オピニオン]「3万ドルぐらい使ったかしら」

[オピニオン]「3万ドルぐらい使ったかしら」

Posted November. 23, 2001 10:33,   

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去年の夏、学会のため米国に向かう途中、シアトル空港で経験した話。裕福そうな10人程の60代の夫婦が、団体旅行を終えて帰国手続きしていた。その中に、6共時代の長官も混じっていた。私は婦人らの会話を偶然小耳に挟んだ。一行の中の一人の婦人が、元長官婦人に今回の旅行でいくら使ったかと聞いた。それに対し、長官婦人が「今回は3万ドルぐらい使ったかしら」と答えたのだった。

私は、彼女たちの会話を聞いて苦々しい思いを拭えなかった。いやー、短期の旅行に私の年俸に相当する程のお金を使うなんて・・・。「果たして、その旅行経費はどこから出ているのだろうか」という考えが頭から離れなかった。長官を15年以上務めた人が、どこにそんな金があってこんな贅沢な旅行ができるのか、いくら考えても理解に苦しむ。自分のお金で旅行するのだからほっといてくれ、と言うかもしれない。しかし、その長官は、先日不正蓄財の疑いで退いた安正男(アン・ジョンナム)建設交通部長官や、これまで各種不正に係わってきた人達とは違うだけに、余計に納得し難かった。とにかく、韓国では、長官を一度務めれば、残るものが多いようだ。

長官を一度すれば、いかに蓄財ができるのかについて国民は承知している。この間、韓国経済は典型的な政経癒着による発展モデルを踏んできたからだ。各種の利権介入、許認可、人事の口利きなど、いわゆる情実資本主義(crony capitalism)と呼ばれる経済体制のため、国民は1997年に国際金融危機に見舞われ、未だにその後遺症から完全に抜け出せずにいる。

過去に開発独裁と呼ばれた朴正煕(パク・チョンヒ)政権時代には、経済発展に必要な財源が十分でなく、導入された借款を配分する過程で多くの不正が行われた。そして軍事政権に入ってからは、政権の正統性が脆弱であるため、お金でそれを埋め合わせるための統治資金(何と羞恥に満ちた言葉であろうか)調達のため、あらゆる不正が明るみになった。自称「正義社会」を具現化させる、と言っていた全斗換(チョン・ドゥファン)政権では、大統領の親戚ぐるみの張英子(チャン・ヨンジャ)事件以来、明星事件、水西事件、ゴルフ場認可不正などが、次々に明るみになった。「馴れ合い」の盧泰愚(ノ・テウ)政権の6共でも、栗谷事業、原子力発電をめぐる不正など、大小の不正が起きた。そして国民の多くの期待を背に発足した金泳三(キム・ヨンサム)政権の文民政府も、韓宝事件、民放選定、高速電鉄ロビー事件など、政経癒着からは例外ではなかった。国民の政府を自負する現政府も、各種スキャンダルやゲート事件で騒々しい。現政府の発足初期に発生した高級服ロビー事件以来、鄭鍱逷(チョン・ヒョンジュン)、陳承鉉(チン・スンヒョン)、李容湖(イ・ヨンホ)ゲートと続くベンチャーゲートや最近の盆唐(ブンダン)の白宮(ペックン)地域疑惑まで。過去のようなタイプと言えなくても、内輪で分け合うという印象は拭えず、政経癒着の不正と不条理が定型化しているという感さえ与えている。

韓国民族の大きな短所である「記憶喪失症」や「そういうこともあり得る」という感傷的な包容力にもかかわらず、このような政経癒着の鎖を断つには、政治家や公職者らの自浄努力が最優先である。去る10・25の再・補欠選挙当時、ハンナラ党はこれまで巷の話題であった各種不正を暴き出して大勝を収める所期(?)の目的を達成し、一方、与党民主党は泥縄式に党内外でごたごたと早期競選体制に入った。

長官であれ国会議員であれ、そして末端の公務員であれ、自分の役割は国民から生まれるということを自覚しなければならない。にもかかわらず、委任された各種許認可権をまる天から授かった権限でもあるかのように、国民の上に君臨しようとしたり、蓄財の手段として悪用する公職者がいる限り、韓国は不正腐敗共和国の汚名を拭い去ることはできない。このような現象が続くにつれ、金泳三政権以来、新たな政府に対する期待が政権獲得初期には大きかったが、時間が経つにつれ失望の度を増し、ついに冷笑主義に陥った。そして多くの国民にも「私一人ぐらいなら」というモラルハザード現象が蔓延し、全体のシステムも十分に機能しない、いわゆる自嘲的に「あの国民にあの政府」と言い捨てるように決め付ける社会になるしかなかったのだ。なんと力が抜けるような社会的浪費であり非効率であろうか。とにかく、いつまで不正が蔓延したゲート共和国が続くのか、始まったばかりの新たな千年に向けて、皆が自覚せねばならない時である。

尹勇晩(ユン・ヨンマン)仁川大学教授(経済学、本紙客員論説委員)