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[オピニオン]日本は平和の道に向え

Posted August. 15, 2001 10:02,   

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小泉首相の神社参拝を見て...。

先月17日の夕方、東京大学教養学部のキャンパスで、韓国人元従軍慰安婦の黄錦周(ファン・クムジュ)さんの証言集会が開かれた。日本のアジア侵略を正当化する扶桑社の歴史教科書を文部科学省が合格させたことに危機感を抱き、教科書採択に対する反対運動を行ってきた学生たちが企画した集会であった。

初めて聞く元従軍慰安婦被害者の証言に、学生たちは強烈な印象を受けた。ある学生が「扶桑社の歴史教科書についてどう思いますか」と尋ねた時、集会場は衝撃が走った。

黄さんが「私たちの存在を否定する教科書を絶対に認めることはできない」と言って、持っていた教科書の表紙を破り捨てたためであった。その場にいた学生は皆、改めて黄さんの強い怒りと歴史教科書問題の重大さを思い知らされたのであった。

今日は21世紀初の8月15日。しかし、残念なことに最近の韓日関係は芳しくない。歴史教科書問題と小泉首相の靖国神社参拝が主たる原因だ。

私は、この責任がすべて日本側にあると考える。日本政府は、中曽根康弘元首相が靖国神社を公式参拝(1985年)した翌年に、官房長官の談話で「近隣諸国の国民」に「誤解と不信」を与える恐れがあるとし、参拝を中止した経緯がある。

今回の小泉首相の行動は、当時の日本政府の約束を信じた隣国を裏切ったのも同然だ。歴史教科書問題も、近隣アジア諸国との関係を配慮して教科書を記述するという「近隣諸国条項」(1982年)や適切な歴史認識に基づいて教育するという韓日共同宣言(1998年)などの国際的公約を違反したものだ。

1990年代に入り、日本は戦後半世紀にして侵略被害国から責任を追及され始めた。90年代後半、日本でナショナリズムが強くなった直接的原因は、侵略責任の追及に対する反発であった。

さらにここ10年は、バブル経済崩壊と長期不況で、経済成長の神話が終焉を告げたことを日本人が実感した時期でもある。

冷戦の「勝者」である日本が、過去の侵略責任を追及され、さらに「経済敗戦」まで重なり、このような中「被害意識」を持つようになった。そこで「日本人の誇りを回復しよう」というナショナリストらの訴えが受け入れられ始めたのだ。

1999年の夏、新ガイドライン関連法、国旗国家法などの一連の国家主義的法律が制定されたことも看過できない。歴史教科書問題と靖国神社参拝問題は、こうした流れの延長線上で理解することができる。

最近、日本の批判勢力は後退を繰り返した。政界はもとより、メディア、ジャーナリズムも生き残りをかけて「右傾化」が流行している。しかし、私は希望を捨ててはいないし、今後も決して捨てるつもりはない。

現代の日本に今だに残っている「帝国の否定的な遺産」—その核心に天皇制があるーを清算して、帝国主義日本との連続性を断ち切ることで、東アジアの隣国と信頼を回復し、東アジアの民衆との間の相互信頼を基にこの地域に恒久的な平和秩序を構築する、という希望である。

ここ数年、批判勢力が劣勢となりはしたが、巻き返しに出なかったわけではない。昨年12月に東京で開かれた「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」は、加害国日本の女性組織の主催で実現したもので、国際的な反響を呼んだ。韓国と北朝鮮が合同検査団を構成して慰安婦制度を「人道への罪」と規定し、昭和天皇にも「有罪」評決が下された。

これは東アジア各国と市民らが戦争犯罪に関し、共通認識を形成し、この地域の平和秩序形成のためのモデルを提示した画期的な事件だった。

日本各地で扶桑社版歴史教科書採択に反対する市民運動が起き、結果的に採択率がほとんどゼロに近くなったことは、日本社会の良識が最後の線を守っていることを示した快挙であった。在日韓国市民と日本市民が協力して採択を阻止し、互い喜び合う姿は感動的だった。

黄さんは「悪いのは、あなたたちではなく日本政府だ」と語った。そうは言っても、日本政府は日本国民の政治的代表者だ。日本国民の一人として、私も日本政府の行為に一定の政治的責任を負っている。

日本政府は、北朝鮮には全く、韓国には十分に、 植民支配の過誤を認めてはいない。こういう非正常的な状態を是正するために私ができることをする。それが韓民族の人々と友情と連帯を築くための基本的な条件だと考える。

高橋哲哉(東京大学大学院総合文化研究科教授)

◆高橋哲也教授は、日本軍国主義の犠牲者の声に耳を傾けなければならないと「戦後責任論」を主張し、日本のナショナリズムを批判してきた良心的な知識人だ。「日本の戦後責任を問う」(歴史批評社・1999)など多数の著書を出している。