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黄長鎏氏「反発声明」をなぜ出したのか

Posted November. 21, 2000 13:05,   

97年2月の亡命以来、国家情報院の保護を受けてきた黄長鎏(ファン・ジャンヨプ)前朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)労働党秘書が突然、国定院の対外活動制限措置を批判する声明文を提出したこのは、対北朝鮮情勢に対する政府との視角差にこれ以上我慢できなかったためだと推測される。

黄氏は亡命以後公開講演などを通じて、金正日(キム・ジョンイル)国防委員長のもとから去らざるをえなかった理由を説明し、北朝鮮体制を強く批判していた。しかし黄氏は政府が南北頂上会談の開催合意を発表(4月10日)して以来、公の場に姿を見せなくなっていた。今年国政監査で証人として採択されたが出席を拒否した。

黄氏の北朝鮮観や統一観が政府の太陽政策と一致しなかったため政府が活動を制限したというのが、黄氏をよく知る亡命者らの意見だ。国定院の関係者も最近「黄氏は金正日政権に反対しているが、現政府の政策は金正日委員長の執権を現実として受入れ対話を行うという点から、黄氏の立場と衝突する」と説明した。すなわち政府としては黄氏によって北朝鮮側を刺激することは妥当ではないと判断した可能性が高い。

しかし政府が黄氏の‘口’を、長期にわたって厳しく塞ぐのは学者としての自尊心を傷つけることであるというのが専門家の分析。これからは国定院の‘保護’から脱し、国民と直接接触し‘統一’問題を論議するという意志を見せたとも言える。

黄氏の声明文発表によりこれまで黄氏本人が反対しているとの理由で、マスコミのインタビューや金泳三(キム・ヨンサム)前大統領との面談要請などを断ってきた国定院は苦しい立場となった。