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「『金洙暎学問』ができるほど認められるのは夫が他人の真似をしなかったから」

「『金洙暎学問』ができるほど認められるのは夫が他人の真似をしなかったから」

Posted January. 20, 2023 08:25,   

Updated January. 20, 2023 08:25

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「ニワトリとウサギが仲良く遊ぶのが好きな私の意識の深部には、迷信的な要素が全くないわけではない。私は酉年で、妻は兎年だから」

詩人の金洙暎(キム・スヨン、1921~1968)が、1960年代に書いたエッセイ「ウサギ」の一部だ。文章に登場する「うさぎ年の妻」のキム・ヒョンギョン夫人(96)に、19日、京畿道龍仁市(キョンギド・ヨンインシ)の自宅で会った。

「(金詩人とは)近所のおじさんの友達としての知り合いでした。身なりがとても奇怪でした。目はギラギラしていて。私が大変だった時、『一緒に文学をしよう、お前は才能があるな』と言ったので、付き合い始めたんです。

81年前のことだが、キム夫人の記憶は昨日のことのように鮮明だった。1942年、金詩人と付き合っていた当時について、キム夫人は、「金詩人がうちの塀に来て、口笛でベートーベンの交響曲『運命』を吹けば、私は『あなたが来たんだ』と言って出てデートした」と話した。

金詩人は、自分の詩に簡単に満足することはなかったという。

「会う度に、お互いに書いてきた詩を交換して読んだのですが、ある日突然、金詩人が『同じ詩は書いてはいけない』と持ってきた紙を破ってしまいました。当時、詩人が1945年に文芸誌「芸術部落」に発表した詩「廟庭の歌」を読んで、趙芝薰(チョ・ジフン)詩人がびっくりするほどでしたのに。

金詩人の1949年の作品「ウサギ」は、このように始まる。「ウサギは口から子を吐く/ウサギは生まれた時から/跳ぶ訓練を受ける、そんな運命にあった」。キム夫人は、「妹が私の新居を訪ねてきて、『実家でウサギが子を産んだ』という知らせを伝えると、私がウサギ年だと知っていた金詩人が一気に書き下ろした詩だ」とし、「(夫は)ウサギのように、私を可愛がっていた」と話した。

金詩人の人生は波乱万丈だった。暮らし向きが悪くなり、病気がちに苦しんでいた時、キム夫人に出会った。1950年の結婚直後、韓国戦争が起きた。金詩人は、北朝鮮の義勇軍に徴集されたが脱出した。光復(クァンボク=日本植民地からの独立)後「滝」「青空を」など強烈な現実意識を込めた詩を吐き出し高い評価を受けたが、1968年、彼が「ウサギのように可愛がっていた」妻と2人の息子を残して突然の交通事故で亡くなった。

この世を去ってから半世紀が過ぎた今も、金詩人の作品が多く研究されることについて、金夫人は「他人の真似をしなかったためだ」と話した。

「勉強虫なのに、正直で真剣でした。常に本質を追求しながら新しく書いて次元を高めるために絶えず努力しました。留まることなく、常に先を行く自由精神でペンを握りました」

キム夫人は、涙ぐんだ状態で話し続けた。

「最近も一人で家にいながら、日課が夫の本を読むことです。「金洙暎学問」ができるほどたくさん読まれて認められているので、生きていたらどんなに喜んでいただろうかと思います」


チェ・フンジン記者 choigiza@donga.com