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共同体のための「制服」たちの犠牲、社会が残された人々を支えるべきだ

共同体のための「制服」たちの犠牲、社会が残された人々を支えるべきだ

Posted August. 12, 2022 09:09,   

Updated August. 12, 2022 09:09

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「制服」の正義に徹した死は公式に記憶される。2016年9月、江陵(カンヌン)の石蘭亭(ソクランチョン)火災の消火にあたって殉職したイ・ヨンウク消防警とイ・ホヒョン消防校、2016年に太白(テベク)強風被害で出動して死亡したホ・スンミン消防官ら148人の消防隊員が、国立大田(テジョン)顕忠院墓地に埋葬された。

しかし、彼らが残した遺族の苦しみを推し量る人はいない。名誉な死を誇るより愛する人の不在を長く悲しむ人々。東亜(トンア)日報のヒーローコンテンツチームが、彼らの話を企画「散華、そして残された人々」に盛り込んだ。石蘭亭火災で息子を失った父親は毎朝、火災現場に行って追悼碑を拭く。同じ火災現場で30年間共に暮らした夫が逝った妻は、毎朝夫の靴を磨いて夜には送ることのない手紙を書く。「あなたがいないこの世の全てが嫌いです・・・」

長い間の悲しみは病気になる。携帯電話の番号と車のナンバープレートに「119」を入れるほど、消防署員であることを誇った夫が強風被害現場で帰らぬ人となると、妻は生後100日の娘のことだけを考え、泣かないと心に誓った。笑うこともできなかった。「夫が逝ってあまり経っていない」と言われることが怖かった。苦しい時は姑とマッコリを飲んだ。若くして夫と死別し、ホットクを売って息子を育てた姑のほかにこの苦しみを分かち合える人がいなかった。気丈に振る舞っていた彼女は、パニック障害になった。

残された人々が頼れる所は多くない。消防庁職員6万5千人のうち遺族支援人員は2人だけだ。毎年、殉職消防公務員の追悼式が開かれるが、儀礼的で堅苦しい時間を過ごして終わる。毎年5月に米ワシントンで開かれる「ナショナル・ポリス・ウィーク」は違う。殉職警官を称える自転車ツアーや遺族カウンセリングなど様々なプログラムが行われる。ハイライトは、ろうそく追悼式だ。殉職者と親しかった警官が、遺族をマンツーマンで案内し、警察バイク数十台が遺族バスを護衛し、街頭の市民は手を振る。追悼式では1年間の殉職者の名前を1時間以上読み上げるが、遺族でない人まで「生涯忘れることができない慰めを感じる」と話す。

国内では、遺族支援に志のある公務員や遺族が自助の会を作り、慰め合い、新たな殉職者の家族にも手を差し伸べている。「制服」に支えられる社会が、悲しみに打ちひしがれる遺族を放っておいてはいけない。「制服」を礼遇するだけでなく残された人々も元気に暮らせるよう社会が支えなければならない。