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意味のない犠牲だろうか

Posted January. 11, 2022 08:29,   

Updated January. 11, 2022 08:29

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真珠湾攻撃が起こった直後の1941年12月10日、フィリピンのクラーク空軍基地から出撃した1機のB17が、日本海軍艦隊を襲撃した。日本軍の「撃墜王」坂井三郎の証言によると、空で艦隊を護衛していた時、突然、敵戦闘機が奇襲をかけてきたという。

 

太平洋戦線で日本の艦隊に対する米軍初の空襲だった。この爆撃機の操縦士は、米陸軍コリン・ケリー大尉。零戦編隊が艦隊を護衛していたが、ケリー大尉は大胆にも零戦より高い高度で接近し、探知をかわした。坂井は目を疑った。戦闘機の護衛もなく単独で飛び込む爆撃機を見たことも聞いたこともなかったと話した。

この時からケリー大尉の爆撃機と零戦編隊の追撃戦が繰り広げられた。坂井はこの爆撃機を自分が撃墜したと言ったが、坂井の証言をいぶかしく思う声もある。しかし、この日の空中戦の様相は激しかったことだろう。

 

10機の零戦と1機の爆撃機の手に汗握る空中戦が繰り広げられた。いずれも実戦は初めてなので、機動、戦術、射撃の実力まで全て思わしくなかったという。この時のB17には後部銃手がいなかったのだが、これが致命的だった。ケリー大尉は機体をひねって防御機動し、戦闘機の攻撃をかわして機関銃で零戦を攻撃できるようにした。しかし、後部銃手がいないため、後部に攻撃を受けた。

 

ケリー大尉の機体は基地に到着する直前に攻撃された。ケリー大尉は必死に機体を水平に保ち、隊員がパラシュートで脱出できるようにした。最後に副操縦士が脱出すると同時に機体が爆発し、ケリー大尉は戦死した。

 

ケリー大尉は米国の英雄になった。戦果を考えれば、無意味で無謀な攻撃だった。しかし戦争では数字で計算できない要因がある。自分を犠牲にすることで皆に感動を与え、軍人の義務を遂行する勇気と敢闘精神を呼び起こす行動だ。それなくして勝つことができる戦争はない。