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息を殺して描いた絵

Posted November. 18, 2021 08:24,   

Updated November. 18, 2021 08:24

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1943年、ナチス・ドイツはユダヤ人のいないベルリンを宣言した。反ユダヤ主義を標榜したニュルンベルク法が発表されて8年が経った。だがすべてのユダヤ人が消えたわけではなかった。生き残った生存者がいた。画家のガートルード・サンドマンもその一人だった。

1893年にベルリンの裕福なユダヤ人家庭で生まれたサンドマンは、ベルリン芸術家協会で学び、ケーテ・コルヴィッツから個人レッスンを受けた。社会批判的な作品を描いた師とは違って、サンドマンは女性をモデルにした肖像画を主に描いた。1935年、ニュルンベルク法発表後、サンドマンは職に就くことを禁じられ、帝国美術家協会からも除名される。専門の画家として活動できないという意味だった。1942年には追放命令まで受けた。サンドマンはこれを拒否して自殺を偽装し、友人の助けで戦争が終るまでベルリンのアパートの地下で隠れて過ごした。大空襲の時も爆撃が終わるのを、ただ息を殺して待った。生存の恐怖の中でも彼女は創作をあきらめなかった。材料を手に入れることが難しかったので、最低限の道具で密かに絵を描いた。紙に描かれた白黒のドローイングは、日課を終えて疲れてうつ伏せになって眠る女性を描いている。ベッドに横たわってゆっくり眠る境遇ではないのか、どこか不安に見える。もしかすると画家の自画像なのかもしれない。ナチスが執権した年に描かれた絵だからか。迫り来る不安な自身の未来を反映しているかのようだ。

2度の世界大戦とホロコーストから生き残ったサンドマンは、信じられないほど旺盛に多くの作品を世に送り出した。戦争で消失して正確な数はわからないが、1000点以上の作品を描いたとされている。戦争後、サンドマンは芸術家としてだけでなく、性的マイノリティの人権運動にも参加して情熱的に生き、88歳で生涯を終えた。生前には死んだユダヤ人だったが、死後には勇敢なベルリン女性として永遠に復活した。