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21世紀の「薔花紅蓮伝」

Posted November. 03, 2021 08:35,   

Updated November. 03, 2021 08:35

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作家たちは、古典を創造的に再解釈して専有する傾向がある。カン・ファギル作家のゴシックホラー小説「大仏ホテルの幽霊」は良い例だ。小説は最後に、古典説話「薔花紅蓮伝」が美学的基盤ということを暗示するが、これが「薔花紅蓮伝」に注目しなければならない理由だ。

「薔花紅蓮伝」はよく知られているように、継母のせいで無念に死んだ姉妹に関する物語だ。姉妹の恨みのこもった幽霊のために守令たちが次々に死んでいくと、官吏たちはそこに赴任することをはばかるようになる。そうするうちに、ある人が自ら買って出て守令に赴任し、幽霊たちの話を聞いて恨みを晴らす。彼女たちはこの世を去ってあの世に行く。この地点で「薔花紅蓮伝」が終わり、カン・ファギル作家の創造的再解釈が始まる。

これからは姉妹の幽霊のために、相次いで横死した守令たちが中心だ。彼らは何の罪もないのに、無念の死を遂げた。彼らも幽霊になる。姉妹の恨みがさらなる恨みにつながったのだ。問題は恨みの対象である姉妹が、この世を去っていないことにある。すると守令たちの怨霊は悪意に満ちあふれ、子どもであれ通行人であれ死に追いやる。姉妹の恨みを晴らしてくれた守令は、いつからか彼らの悔しい話を聞き始める。すると彼らの恨みが晴れて村は平穏を取り戻す。彼らに必要だったのは、復讐ではなく悔しい「話を聞いてくれる人」だった。

ここで守令は、恨めしい話を聞くことで、この世の他者を慰める芸術家に対する隠喩になる。たとえば「大仏ホテルの幽霊」は、韓国戦争直後の霊魂に関する物語なので、朝鮮時代が背景の「薔花紅蓮伝」とは距離があるが、霊魂の話を聞いて晴らすことで、結果的に彼らを慰めたという点で大きく違わない。芸術家は、他人の抑圧された声に耳を傾ける一種の守令なのかもしれない。薔花と紅蓮だけでなく、すべての他者の話を聞く守令。それゆえ、他者に対する歓待は芸術の本質だ。

文学評論家・全北(チョンブク)大学碩座教授