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アフリカの傷を書く

Posted October. 13, 2021 08:16,   

Updated October. 13, 2021 08:16

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「詩人を理解せんと欲するものは詩人の国に行かざるべからず」。ゲーテの詩に出てくる言葉だ。ノーベル文学賞受賞者アブドゥルラザク・グルナを理解するために、東アフリカ、インド洋に位置するザンジバルを理解しなければならない理由だ。

今はタンザニアの一部だが、ザンジバルはグルナが生まれた頃は島々で構成された国家だった。1964年に革命が起こった。多数だが疎外層の黒人は、アラブ系およびアジア系アフリカ人を無慈悲にも殺害した。想像を絶する暴力だった。アラブ系イスラム教徒だったグルナが英国に行ったのはそのためだった。18歳の時だった。

自伝的な小説でないにもかかわらず、彼の代表作の1つである『楽園』を読むとその傷が想像される。母親は息子のユスフを可愛がった。暇さえあれば抱いて頬をつねり、キスをする。息子は母親が12歳になった自分を子供扱いするのが恥ずかしい。母親は、彼がばたばたして放してと言ってやっと放す。それが終わりでない。母親は逃げる彼のお尻を叩く。しかし今日は違う。放そうとしない。何も話さず、ぎゅっと抱きしめる。息子も変だと思ったのか、母親の懐にただ抱かれている。母親が声を押し殺して泣いている。父親がイスラム商人に彼を売ったのだ。借金のために。

 

『楽園』の冒頭に出てくる生き別れは少年のことで、作家のことではない。だが作家の傷と妙に重なる。ザンジバルの暴力的な歴史が、彼を両親と母国から引き離したためだ。歴史が彼をディアスポラの人生に追いやった。彼は、英国で貧しく惨めで、故郷を懐かしんだ。そして、母国語のスワヒリ語ではなく英語で自分の傷、東アフリカの傷を書き始めた。傷が彼の作品の中心にある理由だ。逆説的にも、傷が彼を深い作家にした。

文学評論家・全北大学碩座教授