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背負うということ

Posted October. 02, 2021 08:17,   

Updated October. 02, 2021 08:17

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世の中にはしてみなければ分からないことがとても多い。背負うことも背負われることもそうだ。背負われたことがなければ、あるいは背負ったことがなければ、この詩を理解できないだろう。背負い背負われることがどれほど温かい行動なのか、どれほど慰めになる分かち合いなのかということだ。

キム・ジョンサムの「墨画」を連想させるこの詩には、老婆と黒いヤギが登場する。注目されない人と動物だ。老婆はもはや価値のない人間のようで、ヤギはかわいくも高くもない。しかし、世の中でその人と動物が出会った時、彼らはなぜ奇跡のように見えるのか。老婆はヤギを背負い、目を合わせた。老婆には子のようなヤギだ。ヤギは老婆に背負われ、ドキドキする胸を委ねる。彼らは互いに頼り合っている。

感動的だが、この詩は少し遠く幻想のように見える。私たちには背負い背負われることは手に余る。一人でも大変なのに他人まで背負う力はない。しかし、一人で歩こうとする心に、この詩は美しすぎる。そのため、大丈夫でないかと思えてくる。頼ることと頼られることは、時に人生の慰めになるのではないか。私の背中に他人の胸が委ねられるなら、重さよりも温かくないだろうか。そのうえ秋は、背負い背負われるのに実に良い季節ではないか。