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アニメへの「ノスタルジア」

Posted September. 13, 2021 08:49,   

Updated September. 13, 2021 08:49

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「そうそう世界は私に開かれている/挫折より挑戦を歓迎してくれる世の中が/そうそう世界を私の胸に抱いて/明日の私はすべてが変わっているはずだ」(トゥーニバースアニメーション「微笑みの世界」のエンディング曲、シン・ドンシク翻案)

朝学校に行って友達に会って運動場でふざけて、昼の給食を食べて、またどこかへわいわい遊びに出かける。そして日が暮れると、家に帰らなければならない。夕食のためだ。テレビのアニメーションは夕食よりも重要だった。

アニメは、私のような「90年代生まれ」たちの集団記憶に重要な媒体だ。私たちにとって、アニメは以前や以後の世代より格別だと言える。テレビアニメの黄金期とその終わりに接した世代だからだ。

通貨危機から脱した韓国社会の希望に満ちた雰囲気の中で幼年期を送った彼らに、手描き体が生きている2次元(2D)漫画は、最後のアナログ文化だった。直輸入され始めたレベルの高い日本アニメーション、韓国情緒を考慮した繊細な翻案と声優たちの優れた演技。しかし、今やこのすべての条件は変わっており、未来は日々不安になる。今90年生れはまるで「失郷民」のように、アナログの幼年期を懐かしむ。

子供の頃のアニメを見るユーチューブは、90年代生まれが失ったと思う「故郷」を展示した博物館だ。ここで彼らは不安をなだめ、希望と挫折を論じながら共感を求める。

もし「挫折より挑戦を歓迎してくれる世の中が私に開かれている」という話を上の世代がすれば、「コンデ(説教臭い年寄)」と呼ばれるかもしれない。弱年層は冷笑的で嫌悪に明け暮れていると言う人もいる。これはかなり事実でもある。しかし、今の青年たちは、ただ傷つくのではないかと恐怖に震える刺のある人たちでもある。その内面には今も、「明日の私はすべてが変わっているだろう」という情緒が含まれている。