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平凡な息子

Posted July. 14, 2021 08:18,   

Updated July. 14, 2021 18:36

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他人を理解する良い方法の一つは、我々との共有点を見つけることだ。然して、それはさほど難しいことではない。文化が異なり、言語が異なり、宗教が異なっても、皆が人間性として縛られているためだ。

ある人が道を歩いている途中、突然ある墓の前にうつ伏せになって泣き出した。人々は戸惑った。彼は起き上がってからもしばらく黙っていた。顔は青白く、目は涙でいっぱいだった。彼が泣いた理由は二つだった。一つは、50年前にこの世を去った母親の墓をやっと見つけたためだった。母がこの世を去った時、6歳だった子供は56歳になって墓の前に立った。「これは私の母の墓だ。私はお墓が見つかるようにと祈った。アラーはそれを承諾してくれた」。もう一つの理由は、母親は偶像崇拝者として地獄にいると考えたからだった。「私は母の数多くの罪業について許しを乞った。しかし、アラーは私の祈りを聞き入れようとしない。それで泣くのだ」。彼は母親が偶像崇拝者として死んだことがつらかった。

母親の墓の前であれほど悲しく泣いた人は、イスラムの預言者ムハンマドだった。彼の母親は、メッカの多くの人と同じく偶像崇拝者だった。偶像崇拝は神聖冒涜だった。息子が預言者だとしても許されることのできない罪だった。伝説によると、アラーは、苦しむムハンマドを哀れんで、彼の両親を一時的に蘇らせた。彼らはイスラムに改宗し、死後の世界に戻った。

このエピソードは、6歳の時から孤児だったムハンマドが、母親の墓の前で泣く姿を感動的に伝える。母が死の世界で苦しむことを考えると、泣かざるを得なかったムハンマド。彼も、母親の平安を願う平凡な息子だった。彼が私たちと変わらない平凡な人間だという事実が目に入って感じられる瞬間、彼に対する偏った視線や偏見が少しずつ消え始める。

文学評論家・全北(チョンブク)大学碩座教授