Go to contents

Posted July. 03, 2021 08:19,   

Updated July. 03, 2021 08:19

한국어

詩人は時に開始ノートというものを書く。新作の詩を発表する時、詩を書く時の思いや作品の解説を短く付けることをいう。実際には開始ノートはありふれたものではない。ほとんどの詩人は説明を控える。詩は詩そのまま、読む人の心に飛んで行き、生きなければならない。そこに詩人の解説を乗せれば、詩は重くなり、飛ぶことができない。

 

だが、私は世の中のすべての開始ノートが好きだ。それはまるで自分の詩のセルフ後日談のようだ。そのうえ詩人は開始ノートもよく書く。散文でも詩のような散文である時が多い。詩より情報も多く、明確に含まれている。なので、つまらないということはない。

1970年代に出た本を見ていて、キム・サンオク詩人のこの詩を見た。そのそばに開始ノートが置かれていたが、詩人としての自負心に対する話だった。彼は詩をお金に変えたい思いもあるが、揺らぐことはないと言った。「詩がどんな宝より貴重で、詩人がどんな人格より輝く」と書いていた。

これは、世の中の主流とは反対の言葉だ。お金より大事なものがあるとは、このような主張は忘れられた哲学であり、辺境にさまよう信念だ。しかし忘れられたからといって、忘れられなければならないというわけではない。私は、高尚な彼の自尊心、マイナーになった信念を信頼する。詩人は寝て起きればしわが増える人生で、あまり恥ずかしくなく生きようと言う。3日も続かない信念であっても、一度まねてみようか。今は日差しがまぶしい季節だから。