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建築を愛した司祭が魂の建築家と出会ったら、天使の光がきらりと

建築を愛した司祭が魂の建築家と出会ったら、天使の光がきらりと

Posted May. 31, 2021 08:19,   

Updated May. 31, 2021 08:22

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25日午前訪れた京畿道華城市(キョンギド・ファソンシ)のナムヤン聖母聖地の聖母マリア大聖堂。雨雲がしばらく立ち去ると、ミサが行われているこの聖堂の祭台の後ろの窓ガラスに光柱ができた。信者たちが「天使の翼」と呼ぶ翼も広がってた。太陽の位置によって、左右の翼の長さが変わる光のハーモニーが演出された。

この聖地は、1866年の丙寅迫害当時の殉教地として知られている。後に身元が確認されたキム・フィリポとパク・マリア夫妻ら4人の殉教者だけでなく、さらに多くの無名の信者もここで処刑された。カトリック教水原(スウォン)教区は1991年、ここを聖母マリアに奉献する韓国カトリック教会初の聖母聖地と宣言した。最近、フランシスコ法王が新型コロナウイルス終息のために連続的に祈る「輪ロザリオ祈祷」国際聖母聖地30カ所のうちの1カ所でもある。

大聖堂は、建築を愛した司祭イ・サンガク神父(63)と「魂の建築家」と呼ばれるスイス出身のマリオ・ボッタ氏(78)の出会い、ここに信者たちの献身が加わって昨年完成した。聖地の裏手にそびえ立つ大聖堂の二つのタワーは、50メートルの高さで、赤レンガ50万枚が使われた。1300人あまりが入ることができる内部の信者席には、時々刻々と光が違うように照らされる。

イ神父は、1989年に近くのナムヤン聖堂の主任神父に赴任し、聖地と縁ができた後、1995年に聖地担当神父になった。当時、聖地は十字架と小さな広場ほどあり、大半は田んぼと小山の状態だった。彼は都市計画法が文化的開発を認める方向に改正される前に聖地を整備する過程で、数回告発され、裁判まで受けた。イ神父は、「死の危機から脱した個人的な体験に続き、1990年のベルリンの壁の崩壊を見守りながら、南北統一のために聖母マリアに祈る聖堂建設を夢見た」とし、「教区と信者たちの支援、ボッタとの出会いが奇跡を生み出した」と大聖堂建築の背景を明らかにした。

ボッタは、リウム美術館や江南(カンナム)教保(キョボ)タワーなどを設計して、韓国内でも有名な建築家だ。聖堂だけでなく、教会、イスラムモスクなどを作業して「魂の建築家」と呼ばれる。ナムヤン大聖堂は彼が設計した聖堂の中でも最も規模が大きい。2011年に作業を担当した氏は、12度も設計を修正し、新型コロナ以前は年に4度も韓国を訪れ、格別に気を使った。

10月は「20世紀のミケランジェロ」と呼ばれるイタリアの彫刻家ジュリアーノ・バンジ(90)が作業したドローイング聖画と十字架が大聖堂に置かれる予定だ。聖画は横10メートル、縦3メートル、十字架は3メートルの大きさだ。ボッタと長く作業してきたバンジの作品は「最後の晩餐」を再解釈し、ガラスで飾られることを考慮して後ろ姿を描いたのが特徴だ。2023年までに、聖堂内部の両方には、移住労働者の多い地域であることを考慮して、東南アジアをはじめ、8つの海外聖母像を造成する。

イ神父が伝えたボッタとのエピソードが興味深い。「2019年、中国に向かっていたボッタが、仁川(インチョン)国際空港からすぐ聖地に来ました。70台半ばの年齢なのに、高いタワーに上って施工状態を点検してビックリしました。その過程を『建築家の十字架』と言いますね。私たちの要請で設計を何回か変えましたが、お金の話はしませんでした。時々『君が天国に行く時、僕を連れて行ってくれ』と言って笑うんです」


金甲植 dunanworld@donga.com