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訓練されていない軍隊の禍

Posted April. 06, 2021 07:50,   

Updated April. 06, 2021 07:50

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1948年5月14日の夕方、ベングリオンは放送を通じてイスラエルの建国を宣言した。建国宣言は、旧約聖書に遡るイスラエルの歴史、ホロコーストまで続くユダヤ人の長い苦難、イスラエル建国の正当性を強調し、アラブ人との共存と共同発展を模索するという話で終わる。

 

パレスチナの人々は翌日の5月15日を「ナクバ(大惨事)の日」と規定する。イスラエルの建国と同時にパレスチナ住民に対する残酷で無慈悲な移住政策が施行された。パレスチナの人々は血の涙を流したが、イスラエル人は熱狂した。テレビやラジオの前で拍手し、路上では食べ物が無料で配られた。

後にイスラエルの戦争英雄となり首相にもなったイツハク・ラビンは、当時のイスラエル軍の若い将校で、兵営で部下と共にテレビを見ていた。ラビンの親はイスラエルに移住し、銃を手にした積極的なシオニストだった。ラビンは18歳で英国軍が組織したユダヤ人特殊部隊に入隊し、(ナチスドイツに協力した)ヴィシー・フランス軍と戦った。

イスラエルの独立に対するラビンの感激は格別と思われた。しかし、熱血独立闘士だったラビンは、ベングリオンの演説が終わる前にテレビを消すように言った。イスラエルが独立宣言をするやいなや、エジプトやシリア、ヨルダンなど周辺5ヵ国がイスラエルに侵攻した。ラビンは戦争を恐れる人ではなかったが、準備なく無謀な戦争に怒った。彼は、多くの仲間と部下が犠牲になると予想した。

ラビンが悲観的に見た第1次中東戦争は、イスラエルの勝利で終わった。「奇跡のような勝利」と呼ばれるが、現代の軍事評論家は当然の帰結だったと話す。強大国の支援も決定的だったが、アラブ諸国軍の訓練の水準がとても低かった。これが本当の原因だった。兵力、武器、精神力、大義名分…。これらすべてがいくら立派でも訓練されていない軍隊は役割を果たせない。パレスチナ住民の悲しみには深く同情するが、よく訓練され組織された軍隊がなかったということが悲劇の原因だったということを忘れてはならない。