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ミャンマーの平和

Posted March. 23, 2021 08:11,   

Updated March. 23, 2021 08:11

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1945年、中国の国共内戦で敗北した国民党軍が国境を越えてビルマ(現ミャンマー)とタイの間にあったシャン族の土地に隠れた。追撃してくる中国共産軍と追い出そうとする土着民シャン族、ビルマ軍、タイ軍と生存闘争を繰り広げる。この話は香港で映画化もされた。しかし、実際の状況はとても複雑で、国際的に様々な後遺症を残す。

国民党軍は現地でシャン族を訓練したが、その中にクンサという兵士がいた。後にクンサは国民党軍と対立し、いわゆるゴールデントライアングルと呼ばれた地域で麻薬を栽培した。ベトナム戦を機に米軍兵士に麻薬を販売したクンサは、米国市場を掌握する麻薬王になり、ビルマで独立を夢見たシャン族の軍閥と結託して強力な基盤を築いた。

 

国民党軍を支援した米国は、国内に氾濫する麻薬で打撃を受ける。この事態の真の被害者はビルマでもある。英国の植民地だったビルマは、第2次世界大戦の時に日本軍に占領された。終戦で独立を目前にした時に、ビルマ族の指導者だったアウンサンが暗殺される。

アウンサン暗殺でビルマ政府の軍部に対する統制力が弱まったが、国民党軍を追い出そうとする戦争で軍部の勢力は急速に強まる。これが1962年の軍部クーデターの背景になったという説がある。クーデターで政権を手にしたネ・ウィンは、アウンサンの娘スーチーを監禁し、30年間、鉄血統治を行った。ネ・ウィンが退き、スーチーが政権に就き、ミャンマーに民主主義と平和が訪れたかに見えたが、再び軍部のクーデターと血を呼ぶ抗争が始まった。

民主化闘争が成功するとしても、問題は山積している。ミャンマーの人口の6割はビルマ族から脱することを望む約40もの少数民族だ。開放による経済開発政策は、インド、中国、タイ、カンボジアなど周辺国との関係を一層複雑にするだろう。ミャンマーに一日も早く平和と繁栄が訪れることを願うが、ミャンマー国民の努力、和合と共に国際社会の協力と賢明な支援が必要だ。

歴史学者