Go to contents

韓日の「懸け橋」李秀賢さん、今も心の中に

韓日の「懸け橋」李秀賢さん、今も心の中に

Posted January. 25, 2021 07:28,   

Updated January. 25, 2021 07:28

한국어

20日午後1時、東京都新宿区のJR新大久保駅内の階段の壁の前で黙祷する3人の日本人に会った。ここは、2001年1月26日午後7時15分頃、ホームから転落した男性を助けようとして死亡した韓国人留学生の李秀賢(イ・スヒョン)さん(1974~2001)の死を悼む空間だ。3人は李さんの20周忌を迎え、26日に開かれる追悼式に先立ち、ここを訪れた。

李さんが生前に通った日本語学校「赤門会」の新井時賛理事長(71)は記者に、「20年間一度も彼の名前を忘れたことはない」と話した。新井さんは、事故直後、最初に警察署に駆けつけて悲劇を伝え、20年間追悼行事を行っている。新井さんは、「多くの外交官が果たせなかった両国関係の改善を彼は一人の力でやり遂げた」と話した。新井さんは当時、李さんが毎日午後5時までネットカフェでアルバイトをしたとし、「あの日、コンピュータの修理で仕事が遅く終わった。定時に退勤したなら、悲劇を避けることができただろう」と悔やんだ。

02年に設立された「LSHアジア奨学会」に寄付を続けている山本弘子さん(62)は、「献身と配慮に国境がないことを李さんに教えられた。その教えに感謝する思いで寄付を続けている」と話した。山本さんは、「3年前、娘を李さんの母校、高麗(コリョ)大学に留学させた」とも明らかにした。

 

李さんの精神を称えて02年に設立された「LSHアジア奨学会」から奨学金を受けた奨学生は今年で1千人を超える見通しだ。李さんの命日を忘れないよう1万2600円を寄付する人もいる。

映画監督の中村里美さん(56)は、李さんと彼の両親の話を扱ったドキュメンタリー映画「かけはし」を制作し、17年2月から日本の15の地域で上映会を開いた。中村さんは、「私たちの心の中に李さんが生きていると話す観客を会うたびに心が満たされる」と話した。

3人は、「李さんが生きているなら、悪化した両国関係に誰よりも胸を痛めるだろう」とし、李さんの崇高な精神を称えなければならないと口をそろえた。このほかに、JR東日本は、奨学会が発刊する会報に広告(1千万円、約1億ウォン)を出している。航空会社JALも毎年、李さんの両親の日本訪問の航空料を支援している。

26日の20周忌追悼行事は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で例年より小規模に行われる。李さんの母・辛潤賛(シン・ユンチャン)さん(70)も初めて参加することができない。


東京=キム・ボムソク特派員 bsism@donga.com