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聖誕祭

Posted August. 29, 2020 08:15,   

Updated August. 29, 2020 08:15

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ラジオでも新聞でも毎年12月にはこの詩が必ず紹介された。「聖誕祭」は、国民の秋の詩というわけだ。最近、「聖誕祭」が度々思い出される。真夏のクリスマスでもなく、なぜ「聖誕祭」なのかと問うかも知れない。しかしこの詩を読むのに、白い雪と真っ赤なサンシュユが必要というわけではない。この詩の本質はそこにはない。「聖誕祭」という絶望的な状況と熱い愛の話だ。病気が治り、苦痛が希望に変わる奇跡。それがまさにこの詩の核心だ。

 

今は8月。白い雪どころかまだサンシュユの実も熟していないが、この詩を想起する理由は、私たちが望むことがまさにここに含まれているからだ。私たちは病気が治り、苦痛が希望に変わることを真に願っている。

詩と私たちの状況は非常に似ていた。最近は外を出歩くこともできない。外に出ても急いで家に帰る。まるで冷たい風を避けて引きこもる冬になったように。行動様態だけでなく、情操的にすでに真冬の厳しい寒さのうちにある。縮こまって、小さな希望を惜しむ。

ある母親が具合の悪い子どもを入院させることができず、悲しむ文を読んだ。元気な子どもを家に残して、具合の悪い子どもだけ連れて家を出なければならなかったという話も読んだ。ずっと持ちこたえた医療スタッフの手が汗いっぱいだったのを見た。私の子ども、私の兄弟、私の家族だとすれば、誰もが胸を打たれるだろう。病んだ人、命を守る人、命を持っている人、皆に大変な冬が進行している。「聖誕祭」が必要な季節だ。