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奇襲が通用する理由

Posted July. 28, 2020 10:38,   

Updated July. 28, 2020 10:38

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韓国戦争史に関する古典であるフェーレンバックの『This Kind of War』は、次のような文で始まる。「1950年6月8日、北朝鮮政府は南北の統一選挙を実施するとし、8月15日までに南北の統合国会が構成されると宣言した。この宣言文は戦争の予告だったが、誰も関心を持たなかった」

国家間で戦争を始めるということ、さらにそれを奇襲で始めるということは容易なことではない。理論的には不可能だ。数万、数十万の兵力が攻撃を準備することは、相手に探知されずにはできない。

過去には情報通信が発達せず、可能だったかもしれない。しかし、現代でも巨大な奇襲攻撃はたびたび発生した。第1、2次世界大戦いずれも、フランスはドイツの侵攻に備えることができなかった。独ソ戦争も韓国戦争もそうだった。

このすべてにおいて奇襲が成功した。戦争を認めたくなかったためだ。自身の弱点を指摘され、危険だと警告されると、もっと嫌がる。上官に代案を提示できないためだ。

情報を分かったとしても、まともに対応することはできなかった。前方師団の連帯配置は遠く離れていた。開戦直後、第7師団と第2師団の対応は今でも議論になっている。第2師団は道端に座り込んで何もせず、何かするつもりもなかったという。しかし、しなかったのだろうか、できなかったのだろうか。

6月25日に唯一勝利をおさめた第6師団は、日曜日に外出を許可せず、兵力が十分だった。砲兵は砲撃地点を正確に捉え、予備隊が速かに投入された。攻撃してきた北朝鮮軍第2師団は1日で4割を失った。

今や韓国は北朝鮮より軍事力、経済力が比較できないほど強いと話す。しかし戦争は数字であり、武器でするものではない。強国が自滅する事例は歴史にいくらでもある。実戦を覚悟し、戦争に備えることができない軍隊、国民が快楽に陥った国は、自国を守ることはできない。