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シンガポールの李光耀一家「兄弟の乱」

Posted July. 01, 2020 08:05,   

Updated July. 01, 2020 08:05

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2015年3月、シンガポールの国富と呼ばれた李光耀元首相が他界した時、取材のためにシンガポールを訪れた。追悼所の壁一面にポスト・イットの大きさのメモが貼られていた。「私たちが家と呼ぶ美しい国を作ってくださってありがとうございます」、「生涯にわたる献身を尊敬します」・・・。当時会った市民は、口をそろえて「建国の父」を失った悲しみを吐露した。独裁と言論の自由の抹殺など否定的な評価も少なくないが、李氏がシンガポールの根幹を作ったということに意見の相違はないようにみえた。

李氏はシンガポールが英国の植民地だった1954年、人民行動党(PAP)を創党し、59年に自治政府の初代首相になった。その後26年間、首相を務め、シンガポールの発展を導いた。65年の独立当時400ドル水準だった1人当たりの国内総生産(GDP)は、李氏が退任した90年には30倍以上の1万2759ドルに増えた。

シンガポールは李氏の強力なカリスマで政治的には一党独裁体制を維持してきた。PAPの議席は59年以降、80議席を下回ったことがない。一方、野党の労働者党(WP)は2011年に6議席を占めたのが最高記録だ。アラブ首長国連邦の日刊紙ナショナルは、「シンガポールは多人種国家として早い経済成長を成し遂げなければならなかった」とし、「繁栄と競争力を維持するために政治的寛容を許さなかった面がある」と分析した。

このようなシンガポールの政界が、野党の熱を帯びた政治攻勢と「兄弟の乱」で最近騒々しい。同紙は、「今回の総選挙でもPAPが勝利するだろうが、数ヵ月間続いた政治攻勢はシンガポールの基盤が徐々に変わる可能性を示唆する」と指摘した。その中心には李氏の次男、李顕揚氏がいる。

李氏には2男1女の子がいる。長男の李顕龍首相、長女で国立脳神経科学院を運営する李瑋玲氏、次男でシンガポール民間航空庁顧問の李顕揚氏だ。ロイター通信によると、「親しくなかったが、対立もなかった」彼らの関係は、父親の生家処分問題をめぐってこじれていった。顕龍氏が「家を壊せ」という父親の遺言に従わず、博物館建設を推進すると、下2人がこれに激しく反発した。瑋玲氏と顕揚氏は2017年に声明を出し、「首相が地位と影響力を乱用している。父を偶像化し『李光耀王朝』を建設して息子の李鴻毅に権力を世襲しようとしている」と主張した。

彼らの対立は、7月10日に予定されたシンガポール総選挙を控えて激しさを増している。顕揚氏は6月24日、シンガポール前進党(PSP)への入党を発表した。PSPは反政府の陳清木氏がシンガポールの変化を望んで昨年創党した新党だ。顕揚氏は、「シンガポールを愛してビジョンを共有する人々がPSPに集まったと考える」と入党の背景を明らかにした。現地メディアは、顕揚氏が出馬するのか注目している。候補登録締め切り日の6月30日午後1時現在、出馬の意思を明らかにしていない。

顕揚氏が出馬するかどうかが注目され、総選挙の争点を飲み込むと、顕龍氏は29日、「今回の総選挙は家族間紛争のためのものではない。シンガポールの未来に対する投票でなければならない」と呼びかけた。顕揚氏は翌日30日、フェイスブックに映像を投稿して反撃した。

「投票を通じて圧倒的多数の議席を占めたPAPの時代を終わらせよう。巨大政党になったPAPはこれ以上国家の未来のために悩んで討論しない。政府官僚は批判精神を失っている」(シンガポール日刊紙ストレーツ・タイムズ30日付)

反腐敗、改革、クリーン、専門性・・・。父(26年)と息子(16年)が合わせて40年以上シンガポールを導いた李光耀一家は、シンガポールのアイデンティティを映している。このため最近、兄弟間の泥沼の争いは、国民に大きい痛みと衝撃を与えた。

総選挙で野党が反転を起こす可能性は高くない。しかし、PAPの圧勝が当然視される状況ではないという声が出ている。インダージット・シン前PAP議員は最近、「顕揚氏の野党入党で、与党の固定支持層である有権者の6割の一部が離脱する可能性がある。李光耀氏の息子が野党を支持する時、有権者は現在のPAPが過去のPAPと違うかも知れないという疑いを抱くことになる」と指摘した。