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善人と悪人

Posted May. 21, 2020 08:16,   

Updated May. 21, 2020 08:16

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善と悪は正確に区別されるものなのだろうか?聖書には、数多くの善人と悪人が登場する。キリスト教迫害と暴君のアイコンであるネロ皇帝も、悪人の代名詞だ。彼が支配していたローマで殉教した聖ペテロは、イエスのように生きた善良な聖人の象徴的人物だ。

17世紀のイタリア画家・カラヴァッジョは、ペテロの殉教シーンをキャンバスに生々しく描きいれた。画家は初代法王だった彼を、偉大な聖人の姿ではなく、裸で苦しむ老衰した人間として描いた。絵の中のペテロは、ほぼ裸で十字架に逆さまにぶら下がっている。師匠と同じような死に方は恐れ多くて到底できないので、逆さに吊るしてほしいと申し出たからだ。何かを見ようとするように、頭を持ち上げ、全身をねじって起きようとするが、苦しみがひどくなるだけで身動きが取れない。深く皺のできた顔は、苦痛と痛みに満ちていて、遠くを見つめる悲しい目つきは救いを切に願うようだ。画面の中央下部に置かれた大きな岩は、「この岩の上にわたしの教会を建てる」というイエスの言葉を示すもので、ペテロを象徴する。

表情と目つきが詳細に描写されたペテロとは異なり、三人の死刑執行者は顔を隠したり認識できないようにして匿名で処理された。ところが、悪役を引き受けた彼らは、ローマの兵士ではなく、荒仕事をする普通の労働者である。汚れた足と労働で鍛えた筋肉は、彼らの生活の疲れをそのままありありと見せる。一人はロープをかろうじて引っ張り、もう一人は全力を尽くして重い十字架を持ち上げ、さらにもう一人は体を曲げて背中で支えている。彼らは、罪のない白髪の老人の苦しみに同情を示す余裕すらないように見える。ただ、今日片付けなければならない労働に熱中するだけだ。カラヴァッジョは、あの昔のローマの刑場に私たちを連れ出して、尋ねているような気がする。あなたは十字架に逆さにぶら下がって苦しむ善良な聖者に近いか?平凡な顔で悪を行なう作業員に近いか?自分の基準で善悪を判断するネロに近いか?それとも、ただ見物人に過ぎないか?

美術評論家