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欲望の消費

Posted May. 11, 2020 07:28,   

Updated May. 11, 2020 07:28

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「今日もそうだが、中世の世界では金持ちが地位を誇示するために他人から差別化する必要があった」(ピーター・フランコパン『シルクロード:新しい世界史』)

シルクロードには、ただ宝石、香辛料、毛皮、馬、車のようなぜいたく品が扱われた。これらの商品は、主に富裕層が自分たちの地位と威信のために消費した商品という共通点がある。このような商品を消費するだけでも、下位の階級と差別化されるためだった。近世の貿易は、環境と獣と人間の脅威の中で命をかけなければならないことだったので、シルクロードでこのようなぜいたく品が取り引きされるのは当然のことだった。危険の中、数千キロを移動して竹工芸品を売るのでは割に合わない。この点では、貿易の原動力は必要ではなく欲望と言っても構わないだろう。

欲望という単語が持つイメージのため、私たちは欲望を否定的に感じる。そのため、歴史的にも全力を尽くして欲望を否定することに努めてきた。ローマ時代を見ても、シルクの服の人気が最高潮に達すると、「シルクの服は着た者の体を隠すことができないため服を着ないも同然であり、夫婦関係の基盤を揺さぶる」という理由で禁止法が作られるほどだった。しかし、ローマが滅亡してもシルクの人気は少しも変わらないことは、人間と欲望は切り離せないということを物語る。私たちは皆、人間ゆえに欲望を持つ。そして各自の購買力でその欲望を買う。貿易の中心がぜいたく品から普遍的な商品に移行したのも、平民階級の購買力の上昇のおかげだった。以前は商品を買うことができなかった平民も購買力が生まれてその欲望を実現し、他人との差別化を始めたのだ。現代に入って、禁欲もまた一つの産業になったということはアイロニーだ。皆が購買力を持ち、皆が欲望を消費できる時代には、禁欲が差別化の手段に使われ得るからだ。その点で見ると、禁欲も欲望で消費される。如何せん、私たちは欲望を消費する動物である。


李恩澤 nabi@donga.com