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韓国の4つのマラソン大会で4度優勝、ケニアのエルペが帰化に意欲

韓国の4つのマラソン大会で4度優勝、ケニアのエルペが帰化に意欲

Posted March. 16, 2015 07:21,   

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2015ソウル国際マラソン大会兼第86回東亜(トンア)マラソンで優勝したウィルソン・ロヤナエ・エルペ(27=ケニア)は韓国との縁が深い。2011年10月、自己2度目のフルコースで初めて出場した国際大会の東亜日報・慶州(キョンジュ)マラソン大会で2時間9分23秒で頂点に立った。2012ソウル国際マラソン大会兼第83回東亜マラソンでは国内大会では過去最高記録の2時間5分37秒で優勝し、一挙に世界的な選手に浮上した。同年秋に開かれた慶州国際マラソン大会でも優勝し、韓国で開かれた3つの国際大会で毎回金メダルを獲得した。今大会まで制したエルペは、韓国の大会に4度出場し4度優勝という珍記録を打ち立てた。

彼を世界的なマラソンランナーに育てた師匠も韓国人だ。2007年からケニアのエルドレッドとナイロビにキャンプを設置した白石(ペクソク)大学スポーツ科学部のオ・チャンソク教授(53)は「泥の中の真珠」だったエルペを発掘し、体系的にトレーニングを行った。

エルペは来年のリオデジャイネイロ五輪に太極(テグク)マークを付けて出場する可能性が少なくない。大韓陸上競技連盟として、エルペの帰化を推進しており、本人も本気で帰化を受け入れているからだ。帰化が実現すれば、マラソン選手では初の帰化選手になる。

2012年の東亜マラソンで最高成績を出したとき、陸上連盟では早くもエルペの帰化に乗り出した。だがドーピング騒ぎで、帰化はしばらく棚上げとなった。エルペは2012年末、マラリア予防接種を受けたが、国際陸上競技連盟(IAAF)の抜き打ちドーピングテストで陽性反応が出た。彼はIAAFに抗議したが受け入れられず、2013年頭から今年頭までの2年間の出場停止処分を受けた。エルペは「本当に悔しかった。だからこそ放棄したくなかった。家族と共に農業を営みながら、合間を縫って練習をした」と話した。2年間の空白に対する不安を吹き飛ばし、今大会で頂点に立つことで名誉を回復した。

懲戒処分が解除される1年前から多くのマラソンのエージェンシ会社各社は巨額を提示して彼をスカウトしようとした。だが、エルペはオ教授との関係や韓国との縁を考えて、すべてのオファーを断った。復帰戦として今大会を選んだのも韓国代表になりたい気持ちを見せたかったからだ。

チェ・ギョンヨル陸上連盟専務は、「李鳳柱(イ・ボンジュ)が引退した後、国際的な競争力を持つ選手が出てきていない。エルペの帰化は、韓国陸上の発展に大きな転機になるだろう」と話した。ケニア代表に選ばれた経験もある彼がケニア国籍を放棄して韓国国籍を取得すれば、1年後から韓国代表として五輪などの国際大会に出ることができる。アスリートが帰化するためには大韓体育会の推薦を受けて、法務部の国籍審議委員会の承認を得なければならない。

2012年の東亜マラソンでエルペが記録した2時間5分37秒は、歴代の全世界の選手の中でも43位に当たる記録だ。2012年のロンドン五輪で優勝したスティーブン・キブロティチ(ウガンダ)の記録が2時間8分1秒であることを考えれば、来年のリオ五輪でエルペがメダルを取る可能性は大きいと言える。

エルペは、「韓国で走るのが好きだ。気候も良いし、すべてが良い。自分の人生の目標は五輪と世界選手権で優勝すること。(帰化問題に)興味がある。大韓陸上競技連盟と話し合って決めたい」と話した。