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日帝収奪文化財、実態調査が必要だ

Posted March. 05, 2015 07:23,   

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日本による植民地支配期に発見された瑞鳳塚の遺物9点が消えたという4日付の東亜(トンア)日報の記事があるポータルサイトに紹介されると、数百のコメントが書き込まれた。「梁帯(頭にかぶることができるように枠の内側につけらえた十字の金の帯)」がついた唯一の新羅の金冠である瑞鳳塚出土金冠が、植民地支配期に人為的に毀損されたほか、玉の腕輪など主要な遺物が消えたということに衝撃を受けたという反応だった。諸鹿央雄などが盗掘して不法搬出した文化財に対して、政府が積極的に返還努力をすべきだという声もあった。

植民地支配期、朝鮮総督府が発掘した新羅の古墳は、王陵級をはじめ小型の古墳まで約1000基にのぼるとされる。実際、瑞鳳塚を発掘した小泉顕夫は1927年に発表した略式報告書で、6ヵ月で50基を超える古墳を発掘したという記録を残している。瑞鳳塚1ヵ所だけでも少なくとも1年の発掘期間が必要だという国立中央博物館側の説明を考えると、「発掘」より「略奪」という表現がより相応しい。このため、瑞鳳塚だけでなく別の新羅の古墳も遺物の毀損や不法搬出があった可能性があるという疑念も提起されている。

文化財界では、中央博物館の新羅古墳再発掘事業を機に、日帝の文化財管理に対する実態調査が必要だという声が出ている。東国(トングク)大学美術史学科の崔應天(チェ・ウンチョン)教授は、「中央博物館の収蔵庫にある遺物は数十万点にのぼるが、人材不足でまだ完全に把握されていない」とし、「植民地支配期の資料を徹底的に調査する必要がある」と強調した。

文化財返還のためにも、実態把握が先行されなければならない。明確な基礎資料を証拠に出せば、相手国家も文化財返還要求を無視できないためだ。例えば、諸鹿央雄が奪った金冠塚の遺物が含まれた「小倉コレクション」も、状況によって再協議が可能かもしれない。このコレクションは、1964年の韓日国交正常化交渉で、個人の財産という理由で議論から外された。しかし、小倉武之助の息子が1981年に東京博物館に寄贈し、国家の所有になった。奪われた文化財を取り戻し、韓国文化財の大切な原型を守るには、過ぎ去った過去のことでも追跡し、究明しなければならない。



sukim@donga.com