米コーネル大学の研究チームは、1992年バルセロナ五輪の時、銀メダルと銅メダルを獲得した選手の幸せ度を調査した。テレビの中継放送で選手の表情を見ながら、感情の状態を調べたものだ。試合終了の瞬間、銀メダルが確定した選手の幸せ度は10点満点中4.8点だったが、銅メダルが決まった選手は7.1点だった。3位が2位より幸せ度が高かったのだ。表彰式でも、銅メダリストの幸福指数は5.7点で、銀メダリストの4.3点に比べて高い結果となった。どうしてこのような結果になったのか。
◆銀メダリストは金メダルが基準で、銅メダルリストはノーメダルが基準であるからだ。前者は銀メダルの喜びより、金メダルを逃して残念でしょうがない。だが後者は銅メダルでも取ったという事実が、ありがたくて嬉しいわけだ。成就に対する満足感は相対的だ。幸福の相対性原理というところだろうか。昔から「人間は、いつも自分よりできの悪い人を見て生きるべきであって、できの良い人を見ていると、一生疲れるし不幸だ」と言われる。
◆なのに、我々はメダルの色にこだわりすぎる。選手らも銀や銅メダルを取ると、顔色が暗い。世界2、3位となると、大変な成就なのにそうである。北京五輪男子柔道60キロ級で、金メダルを獲得した崔敏浩(チェ・ミンホ)選手も、4年前のアテネ五輪で銅メダルを取ったが、このような悲しさを身に染みて実感させられたという。誘いの来るチームもなければ、普段仲良くしていた李元熹(イ・ウォンヒ、当時73キロ級優勝)選手まで同じ金メダリストたちとだけ付き合って、さらに寂しく辛かったという。
◆韓国体育界のこのような「1位至上主義」は、北京柔道決勝で催選手に敗れたオーストリアのルートウィヒ・パイシャー選手の姿とは対照的だ。パイシャーは銀メダルを取っただけで本当に嬉しいようで、ずっと明るい表情だった。パイシャーは崔選手に先にお祝いの握手を交わし、感激の涙を流す崔選手を暖かく抱擁したりもした。インターネットには「パイシャーのマナーに感動した」というネットユーザーのレスが相次いでいる。我々の銀メダリスト、銅メダリストらも、パイシャーの心の広さを見習う必要がある。国民に申し訳ないと思う必要はない。最善を尽くしたならば、結果に自負心を持っていいのだ。それほどの成就は決して容易なものではないはずだ。
鄭星姫(チョン・ソンヒ)論説委員 shchung@donga.com