北朝鮮は核実験を公言して6日後の9日に核実験を敢行した。国連安全保障理事会の核実験中止勧告を無視し、国際社会が説得努力を進める時間も与えず、電撃的に断行した。また、「我々も核兵器を開発しなければならない」という金日成(キム・イルソン)主席の「遺訓」も実現させた。
▲北朝鮮の狙い〓01年に発足した米ブッシュ政府の強硬一辺倒の北朝鮮政策に対抗し、体制の生存を担保できる唯一の方法は「核保有」しかないという最終判断により、核クラブ加入の最後の段階である核実験を強行したものとみられる。
5年間の核凍結解除→核拡散禁止条約(NPT)脱退→使用済み核燃料棒の取り出し、再処理→核兵器保有宣言→ミサイル発射実験など、脅威を段階的に高めてきたにもかかわらず、2国間交渉に応じない米国を真っ向から狙ったわけだ。慶南(キョンナム)大学政治外交学科の金グンシク教授は、「核実験をして核保有国として認められた後、ブッシュ大統領と談判するという戦略的判断を下したもの」と分析した。
北朝鮮外務省は昨年3月31日の声明を通じて、「我々が核兵器保有国になった今、6者協議は参加国が平等な立場で問題を解決する軍縮会談にならなければならない」という論理を説いた。
核実験で北朝鮮が狙うのは、米国の北朝鮮敵視政策の撤回による米朝関係正常化と体制の安全保証、経済補償の確保だ。内部的には、体制結束の強化も狙っている。
しかし、北朝鮮の狙いが容易に実現するとは思えない。北朝鮮の意図どおり、米国が北朝鮮の核実験カードに屈し、北朝鮮との2国間対話に乗り出す可能性はほとんどないためだ。
北朝鮮はむしろ、米国と日本が主導する国際社会の制裁や、韓国、中国の貿易および支援の中止といった圧迫に直面するだろう。鍵は、北朝鮮に対する最大の支援国である中国が握っている。政府当局者たちは、「しかし中国が、北朝鮮の体制が動揺するまで推し進める可能性は高くないだろう」と述べた。
▲速戦即決、なぜ9日?〓核実験予告後1週間も経たずに核実験を強行した北朝鮮に対し、多くの専門家たちは、「すでに声明を発表した時から、核実験の強行日を決めていたものとみられる」と口をそろえて言う。
3日の北朝鮮外務省声明では、正確な時点を言及せず「今後」核実験をすると述べ、「対話と交渉を通じた朝鮮半島の非核化を実現しようという原則的な考えには変わりがない」と言った内容に注目し、北朝鮮の核実験宣言は米国との交渉用であり、脅しと観測されたが、これは判断ミスであったことが明らかになった。
世宗(セジョン)研究所の李相賢(イ・サンヒョン)安保研究室長は、「今回の事態の教訓は、非理性的な北朝鮮を合理的な観点で眺めた『合理的期待』が通じないという点だ」と述べた。
国際社会の説得努力の前に核実験を電撃的に実行したのは、現在の状況で米国に期待することはないと判断し、速やかに局面転換を図るためだったという分析も出ている。米国は、昨年9月に始まったマカオのバンコ・デルタ・アジア(BDA)銀行を通じた北朝鮮金融制裁の手網をさらに強く締めつけていた。
北朝鮮外務省は3日の声明で、「米国の孤立圧殺政策が極限点を越え、最悪の状況に突き進んでいる諸般の情勢の中で、もはや事態を手をこまねいて見ていることはできなくなった」と述べ、核実験強行の理由を説明した。
専門家たちは、9日を核実験のDデーと選択したのは、効果の極大化を狙った「絶妙の日」と分析している。対内的には9日が、金正日(キム・ジョンイル)総書記が労働党の総書記に推戴されて9周年になる8日と労働党創建61周年になる10日の間であり、核実験を慶祝日のムードに合わせて、体制誇示と住民結束を最大化できる日と考えたものとみられる。
▲北朝鮮指導部の共感〓核実験の強行は、金総書記の独断や北朝鮮軍部を含む強硬派の主導で実現したというより、北朝鮮指導部内で成立した共感によって実行されたという分析が有力だ。
昨年2月の北朝鮮外務省の核保有宣言後、一連の危機の高まりの過程がロードマップ(実行計画)によって成立したということだ。実際に、3日に核実験を明言した北朝鮮外務省声明でも、「核兵器保有宣言は、核実験を前提にしたものだ。米国の核戦争の脅威と圧力策動は、我々に核抑止力確保の必須工程上の要求である核実験を実行せずにいられなくさせた」と主張した。
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