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倭寇討伐の震天雷の構造を明らかにした工学者

倭寇討伐の震天雷の構造を明らかにした工学者

Posted November. 20, 2019 08:37,   

Updated November. 20, 2019 08:37

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「倭族を討伐する計略として震天雷より良いものはなかった」(鄕兵日記・癸巳年(1593年)2月9日)

「震天雷は効果があり、倭族の肝を冷やすので極めて嬉しいが、安東(アンドン)の陣営には3つしかないうえ、火薬が底をつき、輸送できない」(鄕兵日記・癸巳年(1593年)1月16日)

壬辰倭乱(慶長の役)当時、朝鮮軍は陸地で倭軍の火縄銃に押されて苦戦したが、火砲と砲弾を使った戦闘では、相当なレベルの科学技術で倭軍を圧倒した。火砲に入れて撃つ大型時限爆弾である震天雷も、倭軍を慄かせた朝鮮の秘密兵器の一つだった。しかし、武器製造法が極秘に付されたことで、記録が消失され、出土したこともなく、今までその構造と外観、特徴は全く知られていなかった。

ベールに包まれていた震天雷の構造と原理を、国内技術者が初めて明らかにした。蔡連錫(チェ・ヨンソク)科学技術連合大学院大学(UST)招聘教授(元韓国航空宇宙研究院長・写真)は、震天雷はバスケットボールより大きく、成人男性一人の重量を誇る巨大な時限爆弾だったという事実を明らかにして、19日公開した。蔡教授は古火器専門家で、古文献を通して神機箭と火砲、亀甲船などを研究してきた。

震天雷は、砲弾に火を付ける点火装置である「柱檄鉄」を砲弾に入れて、敵陣で爆発するように設計された時限爆弾だ。朝鮮仁祖(インジョ)の時に兵曹判書を務めた李曙(イ・ソ)が1635年に著した火薬武器兵書「火砲式諺解」によると、震天雷は鉄で113近(67.8キロ)の丸胴を作り、その中に火薬5斤(3キロ)とブラケット形状の菱鐵(鉄びし)30個を詰めた。爆発時間の調節は、「柱檄鉄」という長い構造物に入れた導火線で行った。導火線に火をつければ、導火線が燃えていき、一定時間が過ぎたら、火薬に触れて爆発する。まるで手榴弾が爆発するように、胴体の破片と鉄びしが飛び出して、敵を攻撃したと推定される。

蔡教授が、震天雷の構造を研究しながら、一番大変だったのは、サイズを調べることだった。正確なサイズを記録した記録物が皆無だったからだ。蔡教授は、震天雷が「大碗口」から発射されたという火砲式諺解の記録をもとに震天雷の直径を推定した。大碗口は、大型砲弾を発射するときに使った朝鮮時代の大砲の一つだが、世宗(セジョン)30年(1448年)に開発された銃筒碗口と同じ大きさだと知られている。銃筒碗口には直径33センチの砲弾が使われたという記録がある。蔡教授はこれを基に、震天雷の直径がバスケットボールの約1.4倍の33センチと推定した。

蔡教授は、「壬辰倭乱当時の海戦では亀甲船と板屋船の大型艦砲を、陸戦では震天雷と飛擊震天雷の巨大な爆発力を利用して倭軍を討伐することができた」と語った。


チョ・スンハン記者 shinjsh@donga.com