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須大拏太子の涙

Posted September. 11, 2019 08:00,   

Updated September. 11, 2019 08:00

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自分が持っているものを惜しみなく与えることで有名な太子がいた。とあるバラモン(僧侶階級)がそれを悪用して、息子と娘をしもべにするから、もらいたいと話した。太子は断り切れず、愛する息子と娘を渡した。バラモンは涙でぐちゃぐちゃになった子供たちを連れて行った。その姿を眺める太子の目には悲痛な涙が流れた。世宗(セジョン)大王が作った「月印千江之曲」は、このシーンをこう歌う。「バラモンに渡すとき、二人の子供が悲しむので、その泣き声に地が揺れ/バラモンが子供を殴るので太子が悲しんだから、彼の涙が届いた地が揺れた」

ところが月印千江之曲は、原典を省略したので細かい部分を省略した。原典には、太子が子供を出してやりながら苦しむ姿がより具体的に記されている。その部分はこうだ。子供を連れて離れようとすると、子供たちが行こうとしなかったので、バラモンは太子に子供たちが逃げないように、手を縛ってもらいたいと言った。太子は言われるように子供たちの手を縛ってやった。それでも子供たちは素直に従わなかったので、バラモンは子供たちを殴りながら連れて行った。その姿を見ながら、太子が泣くと、地も泣き、鳥や獣たちも身もだえしながら泣いた。

自分のものを渡すことにどんなに拘っていても、子供をあんな形で出すなんて、ストーリーは一体何を言いたいのだろうか。地と鳥と獣さえ泣かせる太子の悲痛な泣き声が物語るように、ストーリーは自分にとって大切なものを他人に渡すことが、いかに難しいことかを示すための一種の誇張だ。フランスの哲学者ジャック・デリダが言った絶対的な歓待、無条件の贈り物の見本とも言えるのではないだろうか。

太子の名前は須大拏。彼の物語を盛り込んだ経典が太子須大拏經だ。釈迦牟尼が前世にその太子だったという。世宗は、釈迦牟尼が弟子たちに聞かせた、月が照らすように天地を照らす布施の物語を、自分の手で生まれたばかりのハングルで移した。仏教を抑圧して排斥した時代だったのに。