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ウォーカー中将のリーダーシップ

Posted April. 07, 2020 08:11,   

Updated April. 07, 2020 08:11

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韓国戦争で、米国の第8軍司令官でウォーカーヒルの主人公であるウォルトン・ウォーカー中将のニックネームは何だったのだろうか。写真を見ただけで答えがわかる。「ブルドッグ」だ。彼は学生時代から特別な才能や鋭敏な知力を発揮するスタイルではなかった。パットンの下で超高速の昇進をしたにもかかわらず、多くの人は智将というよりも勇将、馬鹿力の将軍というイメージを持った。

韓国戦争初期、米軍の指揮官には無能力者、非適格者が多かった。ウォーカーは一線部隊を直接訪れて誤りを指摘し、修正しなければならなかった。叱り飛ばし、物を投げつけて指揮するスタイルのようだが、ウォーカーは怒らなかった。部隊の配置もできない指揮官に対して、「直ちにここに兵士を配置しろ」と大声を出すのではなく、冷静に戦術を講義した。戦術の原理を教えて「さあ、君ならどうする」と問うやり方だった。差し迫った状況でのウォーカーのこのような行動は観察者には疑問であり驚異だった。

ウォーカーのこのような行動の答えは直属の上官だったパットンにある。パットンがライン川を目前にした時、第12軍団長のエディ少将が師団長の解任について相談するためにやって来た。解任の理由は、彼が隷下連帯、大隊の指揮に度々関与するということだった。パットンは、それは解任理由になると同意した。しかし、師団長をすぐに得ることが難しく、教育で代替してみることにした。その師団長は自分の誤りを悟り、その後有能な師団長になった。

正しいリーダーなら、隷下部隊の指揮に干渉してはならないというのがパットンの鉄則だった。ウォーカーもその鉄則が身についていたので、洛東江(ナクトンガン)防衛線が断たれる状況で隷下連帯の位置も分からない師団長に対してその場で戦術講演をしたのだ。韓国は水準の高い専門家がいる社会だ。しかし、まだ指示だけをし、干渉する「屋上屋」があまりにも多い。責任は回避し、功績は自分が持っていく。その厚い陰の下で、真の愛国者と専門家は枯れつつある。

歴史学者