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100歳の哲学者、年輪で信仰の意味をノックする

100歳の哲学者、年輪で信仰の意味をノックする

Posted January. 23, 2020 08:06,   

Updated January. 23, 2020 08:06

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100歳の哲学者であり、韓国社会の賢者と呼ばれる金亨錫(キム・ヒョンソク)延世(ヨンセ)大学名誉教授(写真)の本「人生の真ん中で永遠の道を探して」(ヨルリムウォン)が最近出版された。

この本は、宗教に関する学問的研究書ではなく、人間と宗教、社会などについての質問などを淡々と解説した信仰エッセイだ。

本の作家の序文によれば、この文は金教授が主に1980年代に書いたものだ。老教授の視線に留まった複数の問題は、30年以上の歳月を超えて今も進行形である。

「今、韓国には過度に大きな教会と過度に小さな教会があまりにも多い」「教会が信仰共同体としての任務をおろそかにし、政治をはじめとする社会共同体の責任により傾倒してしまうと、教会としての普遍性を失いかねない」

彼は誰よりも誠実なクリスチャンとして生きてきたにも拘わらず、無教会主義者という非難に苦しめられたと告白する。彼は特に批判的に言及した「教会主義」は、他でもない教会のための教会だ。彼は、「信仰生活は家庭でも行うことができ、職場でも展開されるべきだ」とし、「御言葉と真理は、天の国を建設するためにあるのであって、教会を育てるためにあるのではない」と主張した。

本はプロテスタントとカトリック、仏教、儒教など多様な宗教の原理と現状だけでなく、パスカル、ニーチェ、カントなど、哲学者たちの神を巡る命題を込めた。「神の存在について」「信仰と人間関係」「真理から来る自由」「信仰人の質問」など大きくて重いテーマが多いが、老教授ならではの経験談が調和して読みやすい。

本の最後の部分「宗教、絶対に必要なものだろうか」は、人生と宗教問題で悩んできた現代人のための彼の答えではないかと思う。「パスカルは信仰を冒険とギャンブルだと主張した。自分の命と全人格をかけたギャンブルだ。失うと、自我という全体が無に戻る。しかし、得られたら、自我はもちろん永遠と人生の実在を手にする」

信仰エッセイにも拘わらず、宗教に関係なく、100歳の人生の年輪から出るアドバイスが重たい。「人間が精神的に老いることになれば、それは本当に老いたことになる…自分で自分を育てられるようになるべきだし、すべてのことにおいて、学ぼうと努力しなければならない」


金甲植 dunanworld@donga.com