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韓国戦争時の通度寺陸軍病院、資料で存在確認

韓国戦争時の通度寺陸軍病院、資料で存在確認

Posted October. 22, 2019 08:39,   

Updated October. 22, 2019 08:39

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韓国戦争の時、通度寺(トンドサ)に陸軍病院が設置された事実を立証する資料が出てきた。通度寺は、龍華殿(ヨンファジョン)彌勒佛塑造坐像の腹藏遺物を確認する過程で、1950年の韓国戦争の勃発後、通度寺に第31陸軍病院が設置され、1952年4月までに2年ほど運営された事実を記録した「龍華殿彌勒佛更造成緣起文」を発見したと、21日明らかにした。

九河(クハ)僧侶が筆文字で書いた緣起文には、国軍傷痍兵3000人余りが入寺して退去したという内容が盛り込まれている。正確な名称は、第31軍病院通度寺分院だ。東亜(トンア)日報は1951年10月24日付の「傷痍兵に靴下、李大統領が贈与」というタイトルの記事で、李承晩(イ・スンマン)大統領が第31軍病院通度寺分院で治療を受ける傷痍兵たちに、靴下1600足を贈ったと報じた。

当時、病院には洛東江(ナクドンガン)戦線で負傷した兵士たちが収容され、本山の殿閣はもとより、山内の庵まで負傷兵でいっぱいになった。一部の施設は、病院のオフィス、治療室、手術室などに使われ、僧侶たちは負傷兵を看護した。

方丈のソンパ僧侶は、「治療を受けている間に死亡した兵士が毎日10人以上に達したと、先代の僧侶たちから聞いた。通度寺荼毘場で戦死者を火葬した」と伝えた。治療を受けて死亡した軍人を火葬した荼毘場は現在、通度寺の山門から400メートルほど離れた右側の山の中腹にある。


孫曉林 aryssong@donga.com