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母の涙

Posted October. 16, 2019 08:31,   

Updated October. 16, 2019 08:31

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母は癌で死んでいった。米国に来て20年が経ったばかりの時だった。彼女は今、二十歳を優に超えた息子が台所でお米をとぐ姿を見て言った。「あの時、あなたをあそこに行かせるべきではなかった。私が大きなミスをした」。いまも昔のことが恨めしいらしかった。こんなに早く死ぬとわかっていたら、幼い息子を遠く離れた寄宿学校に入れて、気をもんだりはしなかっただろう。

彼女は痛みがひどくなり、ますます鎮痛剤に頼るようになった。精神が混迷して、二十五にもなった息子を、十年前の9月の午後に自分が寄宿学校に置いてきた十五歳の息子と混同することが多くなった。彼女は息子と別れたことがトラウマだったのかどんどん昔に帰り、結局52歳でこの世を去った。

息子は母親が亡くなって、父から自分が寄宿学校に入った日、母がどれだけ苦しんだのか聞いた。彼女は父親が運転する車に乗って帰っていきながら、二時間以上一言も口にしなかった。顔は青ざめていた。そうするうちに、こらえていた涙を噴き出してしまった。父は路肩に車を止めて、一緒に泣いた。彼女は息子と別れるのがあれほどつらいとは思っていなかったのが明らかだった。彼女は、子供を人生のすべてだと思っている普通の韓国人の母と変わらなかった。不慣れで言葉すら通じない他国で暮らしていたのでなおさらそうだったのかしれない。

3歳の時、親と一緒に移民に発ち、今は米国文壇の中心に立った小説家チャンネ・リー。彼が、母親が死んでから5年が経った1995年、「ニューヨーカー」に発表した散文「カミング・ホーム・アゲイン」で語った一話だ。彼を育てたのは、8割が母の愛であり、彼の成熟した作家にしたのは、8割が母の不在だった。彼の傑作が次々と出たのは、母の死後だった。

彼は、母親が思い出されるたびに、車を運転して一人で高速道路を走る。そして路肩に止めた車の中で、自分を考えながら泣いたはずの「母」の姿を想像する。