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原則は妥協できない

Posted September. 17, 2019 08:29,   

Updated September. 17, 2019 08:30

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1940年5月10日、ドイツ軍がフランスを侵略した。戦争が始まった時、ドイツ軍も勝利を確信できなかった。しかし、1カ月半で欧州の巨人、フランスがドイツに屈した。事実上、勝負がついたのは半月後だった。20世紀の戦争史の伝説となったドイツA集団軍の電撃戦に、英仏連合軍は手もつけられずに崩れた。A集団軍のうち19装甲軍団を率いたハインツ・グデーリアンは、第1次世界大戦後、戦車の機動力に注目して電撃戦術を創案した。戦術はアイデアを出したからといってできるものではない。そのアイデアを実戦で使用するためには、無数の実験と訓練を繰り返し、現場で発生する無数の難関を克服しなければならない。時には既存の観念、哲学、常識も変えなければならない。

ほとんどの改革は、このプロセスに耐えられず失敗する。グデーリアンも無数の苦しみを経験した。その中でも大変だったことが、いわゆる任務型戦術指針だった。電撃戦は、映画のように、戦車が轟音を立てて走って行く戦争ではなかった。速かったのは、事態が発生し、戦車が停止するたびに臨機応変に対応する速度だった。この速度の秘訣が任務型戦術である。

任務型戦術のモットーは、上官は目標のみを示し、現場の状況の判断と解決方法は各個人に任せなければならないことだった。ドイツ軍はこの指示を非常に厳密に遂行した。ある時、隷下師団が状況判断を誤って、進撃しなければならないときに止まってしまったことがあった。グデーリアンは激怒したが、「今すぐ進撃しろ」と叫ぶ代わりに庭に出た。そして庭をぐるぐる回り始めた。任務型戦術の指示によると、このような場合、どのように命令すればいいのか良い方法が思い浮かばなかったからである。戦況は一刻を争うのに、グデーリアンは何はさておき、庭を回りながら適切な命令語を探した。

愚かに見えるが、絶対的な原則は必ず守るべきであり、そこには例外などありえないという。このような姿勢が任務型戦術の完成と電撃戦の神話を作った。韓国社会全体が「ネロナムブル(自分がやるとロマンス、他人がやると不倫という意)」に陥ったのは、このような姿勢が足りないからである。かつては政治家のせいにしたが、今は誰のせいにしなければならないのかもわからない。



李恩澤 nabi@donga.com