Go to contents

「涙の延坪島」中途半端光のみが点滅

Posted May. 22, 2019 07:59,   

Updated May. 22, 2019 07:59

한국어

「何の過ちを犯して、顔を隠そうと頭巾をかぶせたのか」

17日午後7時20分、大延坪島(デヨンピョンド)の灯台公園で、45年ぶりに再び灯がともった「延坪島灯台」を見た感想はこうだった。360度回転し、漆黒のような海を照らし、帰港する船員の道案内になる、滔々として威容を誇る一般の灯台とは違った。海抜105メートルの高さに建てられ、37キロの沖合まで照らすというが、灯台の灯の周囲が半分以上遮られ、南の方向だけで照らす。半分だけの「延坪島灯台」は、頓挫した南北和解と境界地の西海(ソへ、黄海)5島の緊張感を象徴的に示す。

白翎島(ペクリョンド)や大延坪島など西海5島は北緯38度線の北側にあるが、韓国戦争後、休戦協定で北方限界線(NLL)南側の京畿道甕津郡(キョンギド・オンジングン)に編入された。大延坪島の北端と向い合う北朝鮮の甕津郡釜浦里(プポリ)は約10キロしか離れていない。約2300人の島民のうち生まれた場所が北朝鮮という住民も何人かいる。

45年ぶりに延坪島の灯台が再び灯ったのは、昨年4・27の南北首脳会談や9・19の軍事合意など和解ムードによる。点灯式当日の昼に、大統領府は北朝鮮に対する人道的支援として800万ドルの支援の推進を発表した。閉鎖から約3年経ち、開城(ケソン)工業団地の企業関係者の訪朝も同日、承認された。

しかし、北朝鮮は19日、労働新聞で、「援助は一つを与えて十を奪おうとする略奪の手段」と主張した。差し出す助けの手を足で蹴る格好だ。延坪島の灯台が海にこだまのない灯をともすような空しさを覚える。

 

北朝鮮が2010年11月23日に延坪島を砲撃し、軍人2人と民間人2人が亡くなった。韓国戦争後、韓国の領土を狙った初めての砲撃挑発だった。無差別に砲撃された延坪面の住宅街である延坪里72番地に「安保教育場」が設置された。屋根がなく外壁が火災で黒く焼けた、壊れた民家住宅3軒が保存された。北朝鮮軍の122ミリ放射砲推進体も回収し、設置された。

壊れた民家を見て、砲撃の傷跡が住民に悪夢を思い出させないだろうか。甕津郡庁のキム・ミョンソンさんは、「自分が遭った事件の現場と向き合うほど、トラウマから早く回復する。そのため、住民に来て見るように言う。しかし、一度もこ来ない人もいる。それだけ衝撃から抜け出せずにいる」と話した。民宿の女性オーナーは、「砲撃の衝撃で入り口が壊れ、ガラスもすべて割れた。またあのようなことがあるのではと心配で島に残ることができない」と話した。

延坪島の灯台の近くに平和公園がある。1999年と2002年の2度の延坪海戦と延坪砲撃など、3度の北朝鮮の挑発による犠牲者を追悼する空間だ。公園の中央には、2度の延坪海戦で死傷した25人の将兵を称える構造物が設置されている。その形は、陸地で戦車などの機械化部隊の進行を防ぐために設置する龍歯(龍の歯)の構造物に似ている。延坪島では、龍歯の構造物が敵の軍艦や船舶の接近を防ぐために海岸に設置されている。武力衝突の犠牲者追悼公園と南北和解ムードで再び灯った灯台が並ぶ延坪島は、緊張と平和の岐路に立たされた南北関係の縮小版だ。

灯台の再点灯をめぐって、「安保の穴」論議もなくはない。遮られてはいるものの、北朝鮮スパイが無動力船などで陸地に接近する時、助けを与える恐れがある懸念する声が出ている。灯台の点灯式で会った住民のチャさん(44)は、「住民を敵のターゲットにする恐れがある」と心配した。延坪部隊関係者は、「正式の点灯の前に、灯台をつけて数回、島の周囲を回り、灯が作戦に及ぼす影響を検討し、問題がないと報告した」と話した。

延坪部隊は、延坪砲撃事件後、島でのK-9自走砲実射撃訓練を中止した。北朝鮮が、砲射撃訓練などを口実に砲撃してきたなら、訓練の強度を高めて強硬対応の意思を見せるべきだという意見も多かった。島での訓練を中止したのは、北朝鮮の脅威に屈服した格好になるということだ。しかし、島民の中には、砲射撃の轟音がなくなったことを喜ぶムードも少なくなかった。延坪部隊関係者は、「陸地で砲実射訓練をする。射撃訓練の回数を増やした」と話した。

 

実際、灯台の再点灯は、住民が夜間操業の時間を延ばすために長い間要求していた嘆願事項でもあった。しかし、漁民の不満は変わらない。灯台は灯ったものの夜間操業の時間延長は「日没後30分、日の出前30分」と1時間増えただけだからだ。西海5島は、日没後から日の出前まで操業が禁止される。夜間操業中の漁船がNLLに接近したり、越えて拿捕される不祥事を防ぐためだ。

一部の住民は、陸地では鉄条網付近に散策路をつくるのにNLL付近の統制は解かないと不満だ。特に、NLL付近で操業する中国漁船を見ると、憤りが込み上げるという。

 

北朝鮮の席島が目の前に見下ろせる島の北側の「延坪部隊○○○偵察基地隊」前の循環道路に行ってみた。NLL北側の緩衝海域で中国漁船4隻が操業していた。南側緩衝海域に延坪島の漁民は接近することは禁止されている。海の非武装地帯(DMZ)のような場所だ。チョン・ジョンミン甕津郡守は、「ここで中国漁船が漁労をすることは、DMZの肥沃な土地に中国農民が入ってきて農作業をするようなもの」と語った。

NLLの北側緩衝海域にいた中国漁船は、夜になるとためらうことなくNLL南側に下りてくる。数年前には100隻以上が真っ黒に海を埋めつくしたが、今は減った。「西海5島特別警備団」が2年前に発足し、中国が不法漁労の汚名を拭うために積極的に同時取締りに出たことも一つの要因だ。南北が共同漁労区域を設定し、中国漁船の進入を防ぐことが根本的な解決策だというが、できそうにない。

「イシモチ大漁、ノボリを立てて/いつもやってきた船よ、どうして来ないの/・・・日暮れの砂浜にその姿を描けば/灯台の灯だけが点滅する、涙の延坪島」。仁川(インチョン)発旅客船が堂島の船着き場に到着すると、「延坪海駅」ターミナルの近くに立てられた「涙の延坪島」の歌詞の碑石が客を迎える。1959年、台風「サラ」の被害を歌ったのだ。当時、被害が大きかったが、アナウンスと通信の不足で事前に警報が伝わらなかったことが理由だ。取材を終え、船から眺めた延坪島。北朝鮮軍と中国の不法漁船で安保と生業が振り回されるこの地が、陸地の無神経で泣くようなことがあってはならないと思った。


具滋龍 bonhong@donga.com