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「大西洋を越えたロマンス」 T.S.エリオットの「恋文」公開

「大西洋を越えたロマンス」 T.S.エリオットの「恋文」公開

Posted January. 03, 2020 08:18,   

Updated January. 03, 2020 08:18

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「四月は一番残酷な月だ」という一節で有名な英詩「荒地」の著者T.S.エリオット(1888~1965)が恋人と推定される女性教授と交わした1131通の手紙が61年ぶりに公開される。 

英紙ガーディアンなど外信は1日(現地時間)、米ニュージャージー州のプリンストン大学が、エリオットが、親しくまた作品にインスピレーションを与えた「ミューズ」でも有名なエミリー・ヘイル(1891~1969)に26年間送った手紙を2日から大学図書館で公開することを明らかにした。在学生、教授、研究者全員が閲覧可能だが、オンラインでは公開されない。プリンストン大図書館が保管してきたこの手紙は12個の箱に分けられて保管されていた。図書館職員は昨年10月、これまで封印された箱を開き、公開の準備をしてきた。

2人は、エリオットが米ハーバード大在学生だった1912年、マサチューセッツ州ケンブリッジで初めて会った。2人は1927年、エリオットが英国に移住した後も交流を続けた。ヘイルはボストン出身で、カリフォルニアのある大学で戯曲を教えていた。特に1930~56年まで文通を26年間続け、今回公開される手紙を残した。

ヘイルは56年、「2人の死後、50年間は手紙を封印してほしい」という条件でプリンストン大に寄付した。エリオットは1965年、ヘイルは1969年に死亡した。ヘイルの死から51年が経った今年、手紙の公開に踏み切った。ヘイルが寄贈先にプリンストン大を選んだのは、大学で米国学プログラムを作ったウィラード・ソープ教授の役割が大きかった。寄付当時、ヘイルは「あなたとの長年の友情もあり、プリストン大に贈り物をしたい」と述べた。

学者らは、この手紙によって、これまで噂だったヘイルとエリオットの関係について研究できると見通した。一部では、文通が始まった頃、エリオットが最初の夫人との不和で喪失感を抱いていたという点、エリオットが自身の2番目の結婚の前に手紙を燃やすよう言っていたという点を挙げ、2人が恋人関係だったと主張してきた。エリオットは文通が終わった翌年の1957年に再婚した。「T.S.エリオット学会」の前学会長のフランシス・ディッキー米ミズーリ大英文科教授は、「人々が知りたかった2人の関係が、大西洋を越えたロマンスだったのかどうか教えてくれるだろう」と期待した。

1888年、ミズーリ州セントルイスで生まれたエリオットは、「荒地」、「J.アルフレッド・プルーフロックの恋歌」などで20世紀の英米圏の最高詩人と呼ばれた。特に「キャッツ-ポッサムおじさんの猫とつき合う法」は有名なミュージカル「キャッツ」の土台になった。


任寶美 bom@donga.com