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アフリカ豚コレラはどのように全世界に広がったのか

アフリカ豚コレラはどのように全世界に広がったのか

Posted October. 12, 2019 08:22,   

Updated October. 12, 2019 08:22

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アフリカ豚コレラ(ASF)の予防策として最初に挙げられるのは、豚に残った食べ物、すなわち残飯を食べさせないことだ。特にASF発生国から出発した飛行機や船舶で乗客の豚肉の食べ残しが出た場合、回航の時に全て持ち帰るか、熱処理した後に廃棄しなければならない。残飯にこれほどまでに厳しいのは、アフリカで発生したASFが欧州に渡った時の教訓のためだ。

ASFが初めて国際社会に知らされたのは、1921年にアフリカ・ケニアで、野生イノシシが持っていたウイルスが農家で飼育されていた豚に移ってからだ。この時は、アフリカ大陸だけで発生する一種の風土病として知られていた。

57年、ASFに感染した豚肉で作った食べ物が偶然、欧州大陸に上陸し、致死率100%の致命的なウイルスが各国に広がり始めた。食べ物が伝わった経路が飛行機なのか船舶なのかは意見が交錯する。ただし明らかなことは、アンゴラからポルトガル・リスボンに運ばれた残飯が再び飼料で使われたということだ。これを食べた豚がASFに感染し、ウイルスが西欧全域に広まった。

その後、ASFは30年ほど西欧の豚農場を苦しめた。60年スペイン、64年フランス、67年イタリアなど欧州各国でASFが発生した。特にASFが上陸したポルトガルと隣接するスペインで大きな被害が発生した。その後、熱処理していない残飯を豚に与えることを禁止し、野生イノシシと接触しないよう高い塀を設置するなど、強力な根絶対策が続いた。その結果、ポルトガルは93年、スペインは95年にASF終息を宣言することができた。

終息したと思われたが、遺伝子型が変形したASFウイルスが2007年に東欧に広まった。今回も残飯が問題になった。アフリカを経由してジョージアに停泊していたクルーズ船にウイルスに汚染された食べ物が乗っていたのだ。これはジョージアの豚農場に飼料として供給され、豚が倒れ始めた。その後、チェチェン、ロシアなど周辺国まで広まった。

13年、欧州食品安全機関(EFSA)の発表によると、輸送、船積み、移送による感染が38%と最も多かった。感染した豚が他の所に移されたり、汚染された食べ物が運ばれる時に伝播の確率が最も高いということだ。残飯の飼料給与が35%と後に続いた。野生イノシシが多い国は、国境地帯に長い塀を設置したりもした。

アジアでは昨年8月、中国遼寧省瀋陽市で初めて発生した。遺伝子検査の結果、ロシアで発生した遺伝型と100%一致することが確認された。瀋陽は東欧と交易が多く、畜産物を通じて流入した可能性が高い。その後、モンゴル、ベトナム、北朝鮮、ラオスなどに広まり、国内では先月17日、京畿道坡州市(キョンギド・パジュシ)のある豚農場で初めて発生した。


崔惠? herstory@donga.com