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英雄の敗北

Posted July. 16, 2019 09:56,   

Updated July. 16, 2019 09:56

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ナポレオンは、フリードリヒ大王を尊敬し尊重した。彼の軍隊は、フリードリヒの末裔を無惨に踏み躙ったが、大王を貶めたりはしなかった。欧州の人たちは民族主義性向が濃く、他国の将軍たちに対してはたまに過度に批判したりもするが、フリードリヒが天才的な戦術家だったという事実については、異見を提起しないようだ。

そんなフリードリヒも、実戦では何度も敗れた。判断ミスはもっと多かった。最初の敗戦だったコリンの戦いの場合、敵軍は兵力が2倍も多く、有利な地形を占めていたのに、無謀に攻撃に踏み切って敗れた。オーストリア軍を見下したのが原因だった。その後、彼はやるべきではない戦闘を行ったことが敗戦の原因であり、その責任は全て自分にあると認めた。

フリードリヒのミスだけを集めて非難すれば、多くの人々が彼の評判は誇張されたことに同意するだろう。しかし、それはミスだ。戦争は指揮官が誤った判断とミスを犯さない絶対無欠な戦いではなく、誰がミスを少なくするか、あるいは決定的な瞬間に誰がミスをするかの戦いだ。

フリードリヒが数多くの間違いを指摘される理由は、彼に関する記事や資料が豊富だからだ。アレクサンドロス大王はそのような間違いを犯さなかったのだろうか?おそらくもっと多くのミスや判断ミスを犯したかもしれない。ただ、年月の厚さと記録の限界により、彼の戦いをフリードリヒほど詳しく見ることができない。

昨今、私たちはあまりにも多くの情報にさらされる。そしてあまりにも多くの非難が浴びせられる。権力でミスを隠していた時代はもう過ぎた。しかし、善悪を判断するためには、正義感だけでなく、専門家の分析が必要だ。権力を少数から多数に渡すことが、民主主義の発展過程だった。しかし、専門的な知見を多数の感情に譲渡することが民主主義ではない。

すべての分野で良心的で健康な専門家集団を育成し、違法的干渉から彼らの領域を守ることが民主主義を発展させる絶対条件だ。