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誰が金大業を「義人」と称えたのか

Posted July. 09, 2019 07:59,   

Updated July. 09, 2019 07:59

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信じられなかった。先月30日にフィリピンで逮捕された金大業(キム・デオプ、58)は、17年前の勢いのあった金大業とは見違えるほどだった。ぼんやりした目で凝視する表情は、憔悴した老人のようだった。金大業は詐欺容疑で期限付き起訴中止の状態で3年前、フィリピンに逃げ、インターポールを通じて国際指名手配された。

すでに多くの人の記憶にないが、金大業は2002年の大統領選の核心要素だった。同年7月、最大野党「自由韓国党」の前身のハンナラ党の李会昌(イ・フェチャン)候補の息子の兵役問題で、「兵籍記録表が偽造・変造された」、「兵役不正隠蔽対策会議があった」と主張し、政局は「徴兵問題」で揺れ動いた。

同年6月の地方選挙で惨敗し、李会昌大勢論に脅威を感じた民主党は、金大業発の「兵風」に命運をかけた。秋美愛(チュ・ミエ)議員は「勇敢な市民」と言い、朴洋洙(パク・ヤンス)議員は「兵役不正だけは抜本的に根絶しなければならないと信念を持つ義人」と称えた。李氏は、「そちら(検察)が国会対政府質問を通じて兵役疑惑を提起してほしいと言った」という趣旨の発言をし、「兵風誘導」論議が起こった。

検察は、大統領選の2ヵ月前に中間捜査結果を発表し、金大業の主張がほとんど事実無根だと明らかにした。しかし、金大業はすでに姿をくらまし、捜査を指揮した検察は「(犯罪)通報者である金大業を司法処理できない」と手を引いた。兵風の直撃弾を受けた李氏の世論調査の支持率は最大11.8%も下がった。激しくなった政界の攻防の中で兵風の真実は消え、人々の脳裏には兵役不正というキーワードだけ残った。フレーム攻防で起こった逆説だ。02年の大統領選の結果、盧武鉉(ノ・ムヒョン)候補と李氏の得票率の差は2.3ポイント(57万票)だった。

むろん、選挙の勝因や敗因は一つや二つの変数では左右されないだろう。また、ライバル候補の不正疑惑を狙ったネガティブキャンペーンは政治の現場では避けられない。問題は義人がファクトではなく誰の側かによって決定されたということだ。事実関係を確かめもしない攻勢は、ネガティブキャンペーンではなく犯罪行為に相違ない。これまで政界は、曖昧な境界線でネガティブの刀を正義の宝剣のように振り回さなかったのか、自省しなければならない。

金大業を義人と称えた政治家たちは、その後口を閉ざした。ほとんどが「特に話すことはない」と言い逃れた。このようなやり方では、これからも第2、第3の金大業が登場するだろう。最近、一部の与野党議員が、チャン・ジャヨン事件の証人とされたユン・ジオ氏を守ると支援に動いたにもかかわらず、ユン氏の行動をめぐる論議が大きくなると、「私は知らない」と手を引く姿は、金大業事件の卑怯な場面と重なる。

金大業は08年1月、年末赦免の対象から除外されると、記者たちに「盧武鉉大統領の側近に裏切られた。近々彼らの行動と実状を暴露する」と話した。そして、「02年の大統領選で私を義人と呼んだ側近たちが、私にどんな話をしたのか、どのように政権を獲得したのか、さらに私にどのような権力の刃を振りかざしたのか、はっきり知るべきだ」と警告した。兵風が権力型企画作品である可能性をほのめかしたが、当時側近たちはほぼ沈黙を守った。

金大業がフィリピン現地の捜査を終えた後、2、3ヵ月後に韓国に来たときは、詐欺事件のほかに兵風事件の真相も明らかにすることを望む。金大業が本当に正義の実現のために一人で動いたのか、当時の権力層とつながりがあって動いたのかがはっきりするなら、第2、第3の金大業を防ぐことができるだろう。政治改革は遠くにあるのではない。


チョン・ヨンウク記者 jyw11@donga.com