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ケシとクロード・モネ

Posted June. 06, 2019 09:16,   

Updated June. 06, 2019 09:16

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韓国では、楊貴妃(ケシの花)といえば、唐の玄宗時代の絶世の美女を連想させるが、西洋では長い間、眠りや平和、死の象徴と見なされた。第一次世界大戦後には戦争の犠牲者を追悼する象徴の花になった。印象派の画家クロード・モネにとっては最も幸せだった瞬間を共にした花であり、美術史に一線を画した名作のモデルだった。

1874年の歴史的な第1回印象派展に、モネは風景画2点を出品した。そのうちの1点が「印象派」という言葉の語源になった「印象、日の出」であり、もう1点は初夏のケシの野を描いたまさにこの絵だ。絵の背景は、パリから12キロ離れた郊外の村、アルジャントゥイユ。普仏戦争を逃れて英ロンドンに渡ったモネは、1871年にはアルジャントゥイユに定着し、1878年まで暮らした。ここでモネは印象派を代表する様々な話題作を完成させた。

横に分割された画面の上は白い雲で覆われた空、下は赤いケシの野が占めている。前景に描かれた日傘をさした女性と子どもは、モネの妻カミーユと息子のジャンだ。彼らは遠くに見える丘の上にも登場する。地平線の境界ははっきりせず、人物の細部の描写は大胆に省略された。ケシの花も素早い筆づかいで点だけで表現された。当時の人々には、未完成の絵や習作と見えただろう。モネはあらゆる侮辱に耐えなければならなかったが、現代の目で見れば、抽象美術の先駆となる革新的な絵だ。

アルジャントゥイユ時代は、モネにとって家族と共にいられた最も幸せな時間であり、芸術的成就の時期だった。画商ポール・デュラン=リュエルの支援を受けて創作に没頭できたからだ。隣には愛する妻と子どもがいたし、1876年には次男のミッシェルも生まれた。しかし、幸福も長く続かず、大きなものを失うことになる。2人目を出産後、健康状態が悪化した妻が、1879年に子宮がんで他界した。32歳だった。絵の中の妻は、ケシの花の象徴のように、あるいは中国の楊貴妃のようにあまりにも早い死を迎えた。