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1930年代に巻き起こった上海ジャズ・フィバー、朝鮮の青春を虜に

1930年代に巻き起こった上海ジャズ・フィバー、朝鮮の青春を虜に

Posted June. 05, 2019 07:42,   

Updated June. 05, 2019 07:42

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「上海リル」(1934年)、「上海ブルース」(1937年)…。

1930年代、京城(キョンソン)のモダンボーイとモダンガールに最も人気だったジャズ音楽には一つの共通点がある。派手さとロマン、幻想的な雰囲気を醸し出す「上海」が登場するのだ。「かわいいエンジェルたちのウィンクが懐かしい、上海/上海は青春のパラダイス~」。1935年発表の「花咲く上海」には、当時の若者が感じていたことがそのまま歌詞になっている。植民地、朝鮮の青春たちはどうしてそこまで上海に熱狂したのだろうか。

1928年1月、朝鮮サッカーチームの海外遠征が発端となった。当時、全羅道(チョルラド)の大富豪ペク・ミョンゴンは、朝鮮サッカーチームを率いて英国陸軍のサッカーチームとの遠征試合のため中国上海に向かった。サッカーのためとは言え、百万長者であり贅沢三昧の生活だったペク氏の目を引いたのは、他でもなく「ジャズ」であった。上海は租界地域を中心にジャズクラブが賑わっており、米国、フィリピン、ロシアなど世界各国のバンドが活躍していた。

ペク氏はジャズの楽譜とサクソフォーン、ピアノなどの楽器を大量に購入して帰国した。その後、当代最高の音楽家を呼び寄せ、サクソフォーンにペク・ミョンゴン、トランペットにハン・ウクドン、ピアノはホン・ナンパ、ドラムにイ・サンジュン、ボーカルはイ・インソンで構成された8人組のジャズ楽団を結成。韓国初のジャズバンド「コリア・ジャズバンド」の誕生である。

京城のYMCA会館で初公演を行ったバンドの人気は大変なものだった。垢抜けた音色に若者は心を虜にされ、全国公演を展開するまでの勢いだった。1929年9月号の雑誌「開闢(ケビョク)」には「コリア・ジャズバンドの公演が開かれるたび、血気に逸る若い男女の熱狂的な歓声が飛び交う。一つの快楽にのめり込んで、うつつを抜かしているだけ」としながら、ジャズの熱気に心奪われた当時の世相を批判する知識人がいるほどだった。

先月の24日、中国復旦大学で開かれた韓中共同国際学術大会「大韓民国臨時政府と上海」では、韓国大衆音楽のルーツを辿った異色の研究発表があった。檀国(タングク)大学のチャン・ユジョン教授が発表した「中国上海と韓国近代の大衆音楽の諸相」だ。チャン教授は「1930年代まで、ジャズは最高の人気を誇るも1941年太平洋戦争が勃発して以来、日本帝国の検閲が厳しくなり脈が途絶え歴史から忘れられた」とし、「1950年代をジャズの第一世代と呼んでいるが、すでに1920、30年代ジャズブームがあったという意味ではジャズ0世代に値する」と述べた。

一方、檀国大学の東洋学研究院と復旦大学韓国研究センターの共催で開かれた今回の学術大会では、大韓民国臨時政府100周年を迎え、両国共同の抗日闘争の歴史に焦点が当てられた。檀国大学のハン・シジュン教授は「最近、日本の安倍晋三首相はインド訪問中、インド武装独立運動の指導者チャンドラ・ボース(1897~1945)氏の子孫を訪ねることでインド人から歓迎された」とし、「韓国と中国は独立のために闘争したという共通の歴史を持つという点で‘抗日’をテーマにした共通の歴史研究は硬直した韓中関係改善の打開策になり得る」と話した。


柳原模 onemore@donga.com