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灰色の幽霊とパットン将軍

Posted April. 30, 2019 09:08,   

Updated April. 30, 2019 09:08

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米国の南北戦争当時、騎兵隊の能力は南軍が圧倒的だった。特にロバート・リー将軍の寵愛を受けたジェブ・スチュアートの騎兵隊は、戦術的能力で北軍の騎兵隊を翻弄しながら、神出鬼没の活躍を繰り広げた。しかし、戦争後半に行けば、北軍も騎兵隊能力が日進月歩して、スチュアートを撃破し、彼を死に追い込む。南軍が守勢に追い込まれると、残存した南軍の騎兵隊からゲリラ戦に長けた部隊が登場した。特に北軍から「灰色の幽霊」と呼ばれたジョン・モスビー大佐と彼のレンジャー部隊は、戦争が終わるまで北軍を翻弄しながら機動戦と非正規戦の神話を書き記した。北軍司令官だったグラントも、彼の能力と活躍に賛辞を送った。

第二次世界大戦で大胆な装甲戦術で英雄になったジョージ・パットン将軍は、子供の頃、高齢者になったモスビーに会って、彼から戦争の話を聞くのが好きだった。軍事学者たちは、パットンの装甲戦術にモスビーが及ぼした影響は少なくなかったと推定する。

モスビーとパットンの関係は、「青は藍より出でて藍より青し」の例と言える。しかし、美しい格言は、世界の半分だ。青からは必ずしも藍色が出てくるわけではないという意味だ。スチュアートやモスビーの活躍に鼓舞され、南軍には多くの遊撃隊が誕生した。そのうち、20代の青年ウィリアム・クァントリルが組織した遊撃隊もあった。遊撃隊とはいえ、彼らは軍の命令体系から外れており無法者集団に近かった。結局、村の住民100人を全滅させる虐殺事件がおこった。

終戦後、クァントリルは追撃隊から銃に打たれて逮捕されたが、負傷の後遺症により刑務所で死亡した。かろうじて数人の生存者だけが生き残ったが、その一人が西部開拓時代の有名なギャングだジェシー・ジェイムズ兄弟だった。彼らは遊撃隊で身につけた手口で、列車や銀行で強盗を働いた。

善から善が出るし、悪から悪が出るなら、私たちは明快に善と悪を判断できるし、人類は昔に世界を浄化できただろう。しかし、そうではないので、人類は正しい選択のために毎日悩み、時間と空間を振り返らなければならないのだろう。歴史学者