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清らかな鄭寅普

Posted February. 22, 2019 08:58,   

Updated February. 22, 2019 08:58

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独立活動家から歴史学者、陽明学者、ジャーナリスト、時調詩人、散文作家、教育者、書道家まで。為堂(ウィダン)鄭寅普(チョン・インボ)は、様々な分野で活躍し、行く先々で頭角を現わした。「朝鮮の始祖、檀君は神ではなく人間だった」と始める「朝鮮史研究」を見ると、膨大な知識と洞察力に頭が自ずと下がる。大学者一家の背景、生まれながらの才能、最上の教育だけでは、このような境地に至った理由を説明することは難しい。

先生は1910~1920年代、民族主義学派が陥った神秘主義や英雄主義史観を克服し、文献の考証に努めた。また、歴史の中心に集団としての民族が置かれなければならないと強調した。そして、著述、新聞の連載、大衆講義を通じて、私たちの「魂」を守ろうと努めた。

先生の文字の第一印象は、清らかでやわらかく、力があって美しい。筆画がきれいで、粗雑だったり、濁った気配がない。心が澄んで実直で、正直な人でなければ書くことができない字体だ。理想的な字体を駆使した茶山(タサン)丁若鏞(チョン・ヤギョン)の筆体と似ていた。角張らず、筆画がやわらかく、慈しみ深く寛容で温和だったことがうかがえる。頑固だったり、我が強くなかっただろう。画の間隔や字の間隔が十分であることから、新しい環境への適応がうまく、勇気も備えていた。

文字の形は正方形でバランスが取れており、「書」、「憲」の字の中で横画の間隔が正確に均分されるなど、乱れがない。これは、実直で保守的であり、論理的で理性的であることをうかがわせる。先生の著書を見ると、どちらか一方に縛られたり、偏らず、無理な主張をしなかった。為堂の歴史意識は丹斎(タンジェ)申采浩(シン・チェホ)の民族主義史学の伝統を受け継いだが、独立闘争の方法として、民族史研究を指向した丹斎の民族史学をそのとおりには従わなかった。厳密な史料追跡による事実認識とそれに対する民族史的意味の浮上を意図する新民族主義史学の立場だった。