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「臨時政府の国璽」を寄贈した在外韓国人、ニューヨークで出会った文喜相国会議長

「臨時政府の国璽」を寄贈した在外韓国人、ニューヨークで出会った文喜相国会議長

Posted February. 16, 2019 08:17,   

Updated February. 16, 2019 08:17

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「4月10日の大韓民国臨時政府樹立100周年記念行事にお招きしようと兼ね兼ねまいりました」(文喜相国会議長)

「光栄です。夫(ホン・ソクジュ・死亡)がここに来るべきだったのに…「(シン・チャンヒュ氏)

米国を訪問中の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が14日(現地時間)、ニューヨーク・ロッテパレスホテルで臨時政府の最後の議定院長を務めた晩悟・洪震(ホン・ジン、1877~1946)先生の孫嫁であるシン・チャンヒュさん(85・ニューヨーク在住)に会った。100年前の大韓民国臨時政府議政院の官印を国に寄贈したいという意思を明らかにしたシン氏に、感謝の意を伝えるためにランチに招待したのだ。

シン氏が寄贈の意思を明らかにした臨時政府の国璽は、縦横5センチ、高さ6センチの黒い木製ハンコだ。「臨時議政院印」と刻まれており、1919年から臨時政府の公文書に使われた。

文議長は昼食会の後、記者たちと会って、「臨時議政院の官印が残っていることは、大韓民国の国璽一つが残っているという意味だ」とし、「(遺族たちが)それを持っているという話を聞いて胸がいっぱいになった」と語った。

臨時政府の最後の議定院長を務めた洪震先生は、1945年、日本植民地から独立すると、臨時政府の国璽など印鑑4つを入れた袋を腰につけて、中国から帰国した。洪震先生の孫で、シン氏の夫であるソクジュ氏(2016年に死亡)は、韓国戦争が勃発すると、枕の中に印鑑を隠して避難したほど、大事にしていた。文議長は、「洪震先生は3回にわたって議定院長を務め、国務領、今の大統領に準ずるポストを務めた方だ」とし、「遺族に会ってみると、祖国への深い愛情と独立運動家の子孫たちがどんな考えを持っているかを胸に感じることができた」と語った

今年4月10日は、1919年に中国上海で臨時議定院が初会議を開いてから100年になる日だ。国会は、臨時議定院100周年記念式に洪震先生の胸像を立て、臨時政府の官印を公開することを推進している。シンさんは、「夫が私に印鑑を任せながら『私は余命少なく、君に任せたい』という言葉を残して亡くなった」とし、「胸像が立てられる日、印鑑を抱いてソウルに一気に走っていきたい」と明るい笑いを見せた。


朴湧 parky@donga.com